デニス・ロッドマン /破滅的なリバウンド王

アメリカのバスケットボールリーグNBAで、異彩を放ったのがデニス・ロッドマンです。彼を知らない人でも、漫画「スラムダンク」の桜木花道の風貌のモデルになった人物と言えば、なんとなくわかるかもしれません。今回はデニス・ロッドマンについて書いてみたいと思います。



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プロ入りまでの略歴

彼の自伝Bad as I wanna be(邦題「ワルがままに」)によると、スラム街に生まれ、極貧の少年時代を送っていたそうです。悪事にも手を染めており、さらにバスケットでは何度も挫折を経験しています。高校時代に本格的にバスケットを始めていますが、背も低かったため、代表に選ばれていません。

テキサス州クッキー郡短大に進学しますが、黒人のロッドマンにとってテキサスの大学は厳しい環境でした。黒人という理由だけでメンバーに選ばれず、バスケットを辞めると言っては父親代わりだった叔父に叱られています。しかしオクラホマ州立大学に編入した頃から、ロッドマンは才能を開花させていきます。本人によると、20歳を過ぎてから身長が20cm近く伸びたそうです。



大学2部リーグで活躍し、1986年にドラフト指名されます。2巡目27位と下位指名でしたが、デトロイト・ピストンズが指名したのです。こうしてロッドマンまプロ選手になることができました。

バッドボーイズ

当時のピストンズは、バッドボーイズと呼ばれるNBA屈指のヒール集団でした。ファールなどお構いなしの激しいディフェンスを展開し、何度も乱闘になっています。後にシカゴ・ブルズのスコッティ・ピッペンは顔を腫れ上がらせ、恐怖から偏頭痛に悩まされることになります。

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バッドボーイズの中核は、チームの精神的支柱でありゲームメイカーのアイザイア・トーマス、そしてセンターのビル・レインビアで、特にレインビアは1年間の罰金額が他のチームを1人で上回ったことで知られます。彼らは精神的にもタフで、ブーイングが起ころうが世間に嫌われようが、勝つためならなんでもやり抜く固い意志を貫きました。

※ジョーダンに激しくチャージするレインビア


ロッドマンはバッドボーイズの一員として名を馳せたと書かれることが多いのですが、新人だったロッドマンは激しいラフプレイを行うこともなく、バッドボーイズの中では大人しいベビーフェイスでした。もっともボストン・セルティックスのラリー・バードに対して「白人だからもてはやされている」と発言して、謝罪に追い込まれるなどの一面も見せていました。

徐々に存在をアピールしていたロッドマンは、平均10得点を取るようになり、またリバウンドでチームに貢献していくようになります。88-89シーズンで、ついにチームはファイナルで勝利し優勝を決めると、89-90シーズンでも2年連続の優勝を決めました。このシーズンにロッドマンはディフェンス・オブ・ザ・イヤーに選出され、最高のディフェンスと名実ともに認められました。

シカゴ・ブルズの台頭

2連覇したピストンズは絶頂期を迎え、バッドボーイズは名実ともに最高のチームとなりました。しかしマイケル・ジョーダンを配するシカゴ・ブルズが、ピストンズに迫ります。ジョーダンはバッドボーイズのディフェンスをもろともせず、空中で3人をかわしてシュートを決めるなど、圧倒的な存在感を持つようになっていました。

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そのブルズでロッドマンが徹底的にトラッシュトークを仕掛けて、潰しにかかったのがスコッティ・ピッペンです。地味な存在だったピッペンですが、ロッドマンはいち早くその才能に気づいており、早めに潰しておかなければ、後々厄介な存在になると考えていたようです。



91年のカンファレンス・ファイナルで、ロッドマンはピッペンを突き飛ばし、観客席に放り込みました。試合中何度もピッペンを「ホモ野郎」とトラッシュトークで煽っていたロッドマンは、突き飛ばしたことについて「ホモ野郎につきまとわれるのはウンザリだ」と言い放ちました。しかしピストンズは敗退し、その黄金期は終わりを告げます。

その後のピストンズは負けこむようになり、悩んだロッドマンは、ライフルを抱えて車にいるところを警察に発見される騒ぎを起こしました。ロッドマンは精神的に追い詰められていました。

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ロッドマンの変貌

ディフェンス面では最高の選手の1人だったロッドマンですが、NBA全体の中では地味な選出であり、メディアが取り上げることはあまりない選手でした。新天地を求めてサンアントニオ・スパーズに移籍しますが、ここでロッドマンは一役有名になり、メディアが注目する選手になります。



スパーズはデビッド・ロビンソンというリーグ最高のセンターを配していました。ロッドマンに期待されたのは、シュートを打つこととリバウンドを取るという2つの仕事に追われるロビンソンの負担軽減でした。ロッドマンはオフェンスでもディフェンスでもリバウンドはロッドマンが確実に奪うようになり、ディフェンス面でも貢献すようになると、攻撃に専念できるようになったロビンソンのポテンシャルが爆発します。

そして最も大きな変化は、歌手のマドンナと付き合うようになったことです。マドンナはロッドマンのスター性を見抜いており、さまざまなアドバイスをロッドマンにしています。それを忠実に実行したロッドマンは、髪を染め、ピアスをつけ、ド派手なファッションに身を包んで刺激的なコメントを連発するようになります。ロッドマンは遅刻を始めさまざまな問題を引き起こすようになり、メディアを喜ばせるコメントを出し、チームの勝利に貢献していました。

※ロッドマンとマドンナ


しかしスパーズは、トラブルばかりを引き起こし、過激なパフォーマンスばかりが注目される状況にウンザリしていました。そしてロッドマンも、優勝できる力を持ちながら、大事な場面でリーダーシップを発揮できないロビンソンや、萎縮して覇気を見せないチームメイトに不満が溜まっていました。両者の溝は深まり、わずか2年でトレードに出されることになりました。

シカゴ・ブルズ時代

95年にブルズへのトレードが決まった時、私はこのトレードは失敗すると思いました。アメリカ各紙もこのトレードを疑問視していて、懐疑的な意見が多く出ていました。当時のブルズは3連覇をした後で、ヘッドコーチのフィル・ジャクソンが提唱する複雑なトライアングル・オフェンスを駆使して鉄壁の強さを誇っていました。

※フィル・ジャクソンとロッドマン


複雑な戦術を確実に実行するためジャクソンはブルズに高い規律を求めていて、パーティ三昧で練習に遅刻するロッドマンが馴染めるはずもないと思われました。しかしロッドマンは驚くほど早くブルズに溶け込み、ブルズの支柱になっていきます。ロッドマンがチームに馴染んだのはいくつかの要因がありますが、最大のものはロッドマン自身が勝利の美酒を知っていたからでしょう。

ロッドマンはピストンズで2度の優勝経験があります。優勝した者にしか味わえない強烈な歓喜と興奮は、どんな麻薬よりも強烈に選手を引きつけると言います。3連覇したブルズは、猛烈に優勝を求めていました。優勝するためなら、堅苦しいルールも規律もロッドマンにとって大した問題ではなかったのです。

そしてフィル・ジャクソンを始め、選手全員は優勝のためにあらゆる犠牲を払っていました。ロッドマンはチームに敬意を抱くようになり、特にフィル・ジャクソンに忠誠心を見せるようになります。そしてチーム全員が驚いたのは、ロッドマンのバスケットIQの高さでした。複雑なトライアングル・オフェンスを理解するのに1シーズンを要する選手もいる中、ロッドマンはあっという間に理解して実践しました。ジョーダンは自分を含めて、誰より早く理解したのはロッドマンと語っていました。

さらにジャクソンは、ロッドマンの行いを大目に見ていました。細かい注意を繰り返すことでモチベーションを落とすことを心配したのです。それはチームメイトも同様で、試合中にロッドマンが殴りかかろうとすると、ジョーダンらが止めに入っていました。チームのために驚くほど高いハードルを自分に課して、それを乗り越え続けているジョーダンにロッドマンは高い敬意を抱いていたので、ジョーダンに止められるとロッドマンも逆らえなかったようです。

※暴れるロッドマンを止めるジョーダン、ピッペン


こうしてロッドマンは、誰もが驚く早さでブルズになくてはならない選手になりました。ピッペンとロッドマン、そしてジョーダンを加えたディフェンスは鉄壁で、ブルズから得点を奪うのは不可能に思えるほどでした。ブルズは快進撃を続け、ロッドマンの人気も頂点を迎えます。毎日変わる髪の色は常に話題になり、全身の入れ墨の意味を知りたがる人が急増し、ジョーダンやピッペンよりもメディアの注目を集めました。

ブルズはシーズンを72勝10敗という史上最高の勝率で終えると、そのままファイナルに進んで優勝しました。優勝の歓喜がおさまると、ロッドマンはマスコミ各社に結婚を発表すると記者会見を開くことを伝えました。マドンナとの破局後に、ロッドマンのパートナーは誰になったのか注目が集まり、大勢のメディアが駆けつけますが、ロッドマンがウエディングドレスを着て登場し、自伝Bad as I wanna beの出版を報告しました。この会見は大ウケで、自伝は飛ぶように売れていきました。

※ウエディングドレスで会見を開いたロッドマン


その後ブルズは3連覇を成し遂げ、ロッドマンは中心メンバーであり続けました。ジョーダンが引退し、ピッペンなど主力がブルズを去ると、ロッドマンもブルズを退団しました。

ロサンゼルス・レイカーズ時代

レイカーズがロッドマンに求めたものは、かつてスパーズが求めたものと同じでした。レイカーズの絶対的センター、シャキール・オニールをリバウンドで助けるという役目です。シュートとリバウンドで大忙しのシャックは、膝を痛めてチームを離脱することが増えていたのです。



問題はレイカーズが、ロッドマンをどこまで大目に見られるかだと言われていました。シャックもパーティで体調を整えないまま現れることがあるので、なんとかなるとレイカーズは考えたようですが、ロッドマンはそれ以上でした。ロッドマンとレイカーズは溝が深まり、1か月ちょっとでロッドマンは練習をボイコットするようになりました。そしてわずか2か月で解雇になります。しばらくしてフィル・ジャクソンがレイカーズのヘッドコーチに就任するので、両者がもう少し我慢していたらと惜しむ声がありました。

リバウンド王

リバウンドで絶対的な強さを見せてきたロッドマンですが、チームメイトだけでなく敵の選手のシュートの癖も全て覚えていたそうです。そのためシュートが打たれた瞬間に、どこに落下するか予想がついていたといいます。



公称203cmのロッドマンですが、かなりサバを読んでいると言われ、実際には200cm未満だったと言われています。そのロッドマンが210cmを超える選手と競ってリバウンドを取れたのは、ポジショニングの巧さとポジションを奪ったら押されても引っ張らられてもその場から動かない体幹の強さでした。しかしロッドマンのリバウンド能力には異論もありました。

チャールズ・バークレーは、攻撃に参加せずリバウンドだけに専念すれば、俺でも20リバウンドぐらいはいつでも取れると公言していました。実際にバークレーは、攻撃にあまり参加せずに20リバウンドを超えたことが何度かあります。恐らくバークレーが言うように、ロッドマン以上にリバウンドにすぐれた選手はNBAに何人もいたでしょう。

※バークレーとマッチアップするロッドマン


しかしフリースローでも露骨に決める気がなく、シュートを打つ姿勢すら全く見せないで自らのポジションを手にした選手は稀有で、ロッドマン以外にはいないのです。競争が厳しいNBAの中で、リバウンドという1点だけで勝負して5回も優勝を経験したというのは驚異的だと思います。ロッドマンが他にはない特異な選手だったことを物語っていると思います。

まとめ

デニス・ロッドマンは特殊な選手でした。シュートを打つ意欲を全く見せず、フリースローでデタラメな投げ方をして得点チャンスを逃がす選手は、スターティングメンバーに入ることはできないでしょう。しかしロッドマンはチームの主力選手として長い間活躍していました。ロッドマンはリバウンドだけでなく、バスケットIQの高さから誰よりもチームの戦術を理解していたことに加え、高いディフェンス能力でチームに貢献していました。彼がリバウンドの数字だけにこだわれたのは、こういった背景があるからです。

ちなみにロッドマンは漫画「スラムダンク」の主人公、桜木花道のモデルと言われていますが、それは風貌だけでプレイスタイルは全く違います。桜木のフリースローの打ち方、レイアップの姿勢などはチャールズ・バークレーがモデルだったと思います。


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