長嶋一茂は野球が嫌いだったのか? /二世の苦悩と憂鬱

オリンピックを見ていて、馬術か何かのマイナーな競技が終わり、金メダリストがインタビューに答える姿がありました。その女性アスリートは涙を流しながら「これで父から解放される。私がどんなに努力しても誰も私を認めてくれなかった。だから父を超えることだけが目標だった」と語っていました。この選手の父は金メダリストで、この選手はオリンピックを2連覇して、父を超えたことを繰り返し語っていました。



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長嶋一茂は野球が嫌いだったのか?

偉大な親を持つ二世アスリートは、親との比較に苦しむことが多いようです。厳しいトレーニングを乗り越え、壁にぶつかるともがき苦しみ、さまざまな努力を重ねて乗り越えても「さすが◯◯さんの、お子さんだ。才能が違う」と言われてしまうのです。


周囲に悪気があるわけではなく、本人を否定するつもりもないのですが、偉大な親を持つアスリートは、自らを否定されたような気持ちになるわけです。優勝しようが最優秀選手に選ばれようが、親の名前が出てくるのは不本意なことも多いでしょう。上記の金メダリストを見ながら、私は長嶋一茂を思い出していました。二世アスリートとして期待されつつ、結果を残したとは言い難い成績で、さらに練習しないことでも有名でした。

落合博満も長嶋一茂との対談で、こんなことをいっています。


「絶対にオヤジ(長嶋茂雄氏)を超えたのに。本当に練習しないんだもん。」

長嶋茂雄の息子として周囲の期待を一身に浴びていたものの、野球がそれほど好きではなかったのではないか?そんな気がしたのです。しかしもっと複雑な内容だったようです。

リトルリーグのうんざり感

長嶋一茂にとって、父はヒーローであり最大のアイドルだったようで、自身を「日本一の長嶋茂雄ファン」と公言しています。ですから長嶋一茂が野球を始めるのは必然だったようで、小学校4年生の時にリトルリーグに入団します。


無遠慮なメディアは長嶋一茂の取材に殺到し、野球初心者の一茂の一挙手一投足を追います。そしてチームは巨人軍監督に就任した父と同じ背番号90を与え、守備はサード、打順は3番にします。長嶋茂雄のクローンを求められた一茂には苦痛でしかなかったと言います。一茂は小学校5年生でリトルリーグを退団しました。

父親以上の人がいない孤独

長嶋茂雄が巨人軍の監督を解任されました。Aクラス確保なら監督を続投という約束を球団が反故にしたもので、長嶋茂雄に批判的な川上派の陰謀とも言われ、屈辱的な解任劇でした。一茂は父が受けた屈辱を知ると、野球を始めました。

※解任を受けて会見を開いた長嶋茂雄

高校で野球部に入ると、生意気な1年生になったようです。どんな先輩もコーチも監督も、父より優れた人がいないのです。そして恐らく、自分より優れた人も皆無だったと思います。中学時代には180cmを超え、鍛え上げた筋肉は高校生離れした身体能力を見せるようになり、一茂は周囲を恐れていませんでした。



上級生から制裁でケツバットをされた時には、わざと尻を突き出してバットを折ったと言います。野球以外の雑用をさせられることに意味を感じることがなく、単に先に生まれただけで先輩として偉ぶる者たちに価値を感じることなく、生意気な生徒としてレギュラーを勝ち取ります。それは長嶋茂雄の息子というブランドを最大限に使いたい学校の思惑もあったでしょうが、長嶋一茂の実力があってこそでした。

プロ入り後の孤独

プロに入っても父親以上の選手はいませんし、コーチや監督についてもそうでした。野村監督との確執が噂されていましたが、野村監督よりもコーチ陣との対立が深刻だったようです。長嶋一茂はお坊ちゃんでした。だから理不尽なコーチの対応や、野村監督の威を借る態度に我慢できませんでした。そういう人もいると受け流すことができず、真っ向から対立していきます。しかしチームスポーツの野球で、コーチ陣との対立は成績にも影響を与えていきます。


さらに怪我がつきまとい、念願の巨人軍入りをして長嶋茂雄の元で戦うことになると、その怪我に悩まされます。学生時代は先輩との対立、プロに入ってからはコーチとの対立、そして巨人に移籍してからは怪我との闘いが続き、自分のやりたい野球ができないフラストレーションを募らせていたようです。長嶋一茂から戦力外通告を受け、引退の道を選びました。

まとめ

長嶋一茂の言動を聞くと、野球は大好きだったようです。そして恵まれたフィジカルと非凡なセンスを持ち合わせていたようです。しかし父親が絶対的な野球のカリスマで、そのカリスマを理想としたために自身が置かれた環境にフィットさせられなかったように思います。そういったフラストレーションが練習から遠ざけていたのか、それとも恵まれた才能に安心しきっていたのかはわかりません。

テレビで人気者になった長嶋一茂を見ながら、なんとも奇妙な人生を送っていると思ってしまうのです。


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