60年目を迎えられるか? /時代を駆け抜けたローリング・ストーンズ

1963年にデビューしたローリング・ストーンズは、50年以上に渡ってヒットチャートを賑わし、ライブツアーを成功させています。しかしメンバーのキース・リチャーズは、2019年のUSツアーがバンドとして最後のツアーになる可能性に言及しています。彼らはすでに70代の後半に達していて、現在も活動していることの方が驚異的です。果たしてストーンズは60周年を迎えられるのでしょうか?今回はストーンズの歴史をおさらいしてみます。



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ストーンズの時代区切り

あまりに歴史が長いので、メンバーの遍歴によって4期に分けたいと思います。

第1期:オリジナルメンバーでの69年まで
第2期:ミック・テイラー在籍時の74年まで
第3期:ロン・ウッドが加入してからビル・ワイマンが脱退する92年まで
第4期:93年から現在まで

バンドのメンバー

以前は5人でしたが、ベースのビル・ワイマンが脱退してから4人体制になっています。

ミック・ジャガー(ヴォーカル)

キース・リチャーズ(ギター)

チャーリー・ワッツ(ドラムス)

ロン・ウッド(ギター)

ベースはサポートメンバーのダリル・ジョーンズが担当しています。またサックスは長い間、ボビー・キース、ピアノはチャック・リーヴェルが80年代から参加しています。

かつて在籍したメンバーは
ブライアン・ジョーンズ(ギター)
ミック・テイラー(ギター)
ビル・ワイマン(ベース)

60年近くもやっているのでメンバーが変わっていますが、他のバンドと比較するとメンバーの入れ替えは少ない方だと思います。

第1期前の草創期

幼馴染だったミックとキースが、学生時代に再開して意気投合し、2人はライブハウスに出かけます。そこでスライドギターを弾くブライアン・ジョーンズに驚愕し、ブライアンを仲間に引き込むと、イアン・スチュアートやチャーリー・ワッツなどが加わります。高価なアンプを持っていたビル・ワイマンを仲間に加え、バンドが結成されました。ブライアンはマディ・ウォーターズの楽曲名から「ローリング・ストーンズ」と、バンドを命名しました。

※左下のイアン・シュチュアートは、メンバーから外されてロードマネージャーになりました。

彼らはビートルズを手がけたアンドリュー・オールダムの目に留まり、二匹目のドジョウを狙うレコード会社によってデビューが決まりました。スーツで決めた優等生的なビートルズのイメージと被らないように、ストーンズは不良のイメージで売り出されました。

第1期

63年にシングル「カモン」でデビューし、当初はカバー曲ばかりを発売していましたが、オリジナル曲が必要だと感じたレコード会社は、ミックとキースをキッチンに閉じ込めて作曲をさせました。完成した「テル・ミー」は64年に発売され、ファーストアルバム「ザ・ローリング・ストーンズ」の中で、唯一のオリジナル曲として収録されました。

ビートルズほどではないにしても、ストーンズは確実にヒットを重ねて成長していき、65年には「サティスファクション」で世界的ヒットを飛ばします。バンドの急激な人気はメンバーを戸惑わせ、薬物の使用がさまざまな問題を引き起こします。メンバーの相次ぐ逮捕は、バンドの存在危機を招きました。


そしてブライアン・ジョーンズの精神が、さまざまな面から壊れていきます。自分がストーンズのリーダーだと思っていたブライアンは、世間がミックとキースばかりに注目することに悩み、自分の些細な言動が新聞で大きく批判されることに苦しみ、薬物に依存していきます。さらに気晴らしに旅行したモロッコでは、恋人をキースに寝取られてショックを受けます。ブライアンはバンドの中で浮いていき、それが薬物を加速させました。

69年は契約上、ツアーを行わなければならないのに、ブライアンはギターの弦を巻くのに数時間かかる有様で、立つことも困難なほど麻薬に溺れていました。ストーンズはブライアンを解雇し、新たなギターリストを探します。解雇されたブライアンは、自宅のプールに浮かんで死んでいるのが発見されました。自殺なのか他殺なのか事故なのか、今でも謎になっています。

※ブライアン・ジョーンズ

この頃のストーンズのサウンドは、アメリカのブルースやロックの影響が強く、主にブライアンがリードギター、キースがリズムギターを弾いていました。ブライアンは器用でブルースハープやシタールなどもすぐにマスターし、ストーンズのサウンドに彩りを与えていました。

代表アルバム「ベガーズ・バンケット」


第2期

69年にハイドパークで開かれた、ブライアン・ジョーンズの追悼コンサートで、ブライアンの後任ギターリスト、ミック・テイラーが紹介されました。この時、後にキースのトレードマークになるオープンGチューニングの演奏が見られますが、この時は6弦をつけたままでした(後に6弦は外すようになる)。その後、オルタモント・スピードウェイで開催したフリーコンサートで演奏中に殺人事件が起こるなど、悲劇的な時期を迎えます。

※加入したミック・テイラー(左から2人目)

ミック・テイラーは力強いリードプレイが可能で、キースはリズムプレイが中心になります。キースの不規則で、独自の間合いから繰り出されるリズムギターに、テイラーがリードを重ねるのが当時のストーンズのスタイルになります。ライブ盤「ゲット・ヤー・ヤ・ヤーズ・アウト」に収録されている「悪魔を憐れむ歌」のテイラーのソロは、ストーンズ史上最高のプレイだと言われています。しかしキースも独特のソロを弾いていて、音楽的に試行錯誤を繰り返しているのがわかります。

この第2期には、ストーンズの歴史に残るアルバムがいくつも出ています。「レット・イット・ブリード」「スティッキー・フィンガーズ」「メインストリートのならず者」「山羊の頭のスープ」など、今でもストーンズを語る上で欠かせないアルバムのほとんどは、この時期のもので、最もストーンズが充実していた時期だと思われます。ビートルズ解散後にイギリスの音楽を牽引したこの時期があるからこそ、ストーンズはその後も数十年に渡り君臨することができました。

※ミック・テイラー

しかしテイラーとキースは上手くやっていけませんでした。キースはテイラーを嫌い、何度も衝突しています。後にテイラーは「ミック(ジャガー)とは上手くやっていた。2人で曲も作っていたが、ラリったあいつが後からやってきて、全てをめちゃくちゃにするんだ」と、強い不満を口にしていました。74年にテイラーは、我慢の限界と言わんばかりに脱退を宣言します。

後にキースがソロアルバムをレコーディングする際に、テイラーはゲストとして呼ばれました。キースは「なんであの頃は、お前が嫌いだったんだろう。理由がわからない」と語っていたそうで、2人の仲は解消されています。

代表アルバム「メインストリートのならず者」


第3期

テイラーが脱退した時に、ミック・ジャガーは激しく動揺して「どうしよう。ミックが辞めると言ってる」と、周囲に困惑した表情で漏らしていたそうです。そしてグレートハントと呼ばれるギターリストのオーディションが始まりますが、ダラダラとスタジオで過ごすメンバーを見て帰ってしまうなど、時間ばかりが過ぎていきました。紆余曲折を経て決まったのがロン・ウッドで、アルバム「ブラック・アンド・ブルー」の収録から参加しました。

※加入したロン・ウッド(中央)

ロンはテイラーの後釜としてリードプレイを中心に担当していましたが、やがてキースと2人で1曲の中でリズムとリードを交互に担当するようになり、1人だけの演奏を聴いてもどの曲かわからないようになります。変態系ヘタウマコンビとも揶揄される独特のギターサウンドが特徴になりました。もちろんキースの不整脈のようなリズムギターも健在で、2人揃って変則チューニングでのプレイも行われるようになりました。

この時期には、ストーンズ解散の危機がありました。ミックとキースのソロ活動をめぐるトラブルが発端で、激しい舌戦を繰り広げたミックとキースの仲は修復不可能で、解散は決定的と思われました。しかしバルバドス島での電撃的な和解により、ニューアルバムの製作を開始して、初の日本ツアーも実現しました。

代表アルバム「女たち」


第4期

92年にベースのビル・ワイマンが、突然脱退を表明しました。ビルの脱退理由については、本人が「疲れた」「飛行機に乗るのが怖くなった」「経営しているレストランが忙しい」など、さまざまな理由を挙げています。57歳という年齢も無関係ではないと言われました。また長年にわたる、ストーンズ内での人間関係のもつれも無縁ではなかったはずです。

※ビル・ワイマン

ストーンズはベーシストのオーディションを開き、マイルス・デイビスなどと仕事をしたダリル・ジョーンズを迎えました。しかしダリルはストーンズの正式メンバーではなくサポートメンバーで、ストーンズは4人になりました。そしてニューアルバム「ヴゥードゥー・ラウンジ」を発表します。

※ダリル・ジョーンズ(左)

ダリルの参加により、ベースの音を聴かせる重厚なサウンドが増えていきました。もはや高齢の域に入るバンドですが、94年の「ヴゥードゥー・ラウンジ」だけでなく、2016年の「ブルー&ロンサム」で、全英チャート1位を獲得しています。

代表アルバム「ヴゥードゥーラウンジ」


まとめ

長いストーンズの歴史を駆け足で紹介していきました。半世紀以上、トップアーティストとして君臨するストーンズは、ロック史最大の奇跡とも言われますが、本人たちもこれほど長くやって行けるとは思っていなかったようです。ここに書いた以外にも、何度も解散の危機があり、特に77年のトロントでのキース逮捕の時には、バンド存続は絶望的と思われていました。いくつもの幸運が重なりバンドが続き、ヒットを続けるというのは、まさに奇跡的だと思います。

ストーンズのライブには2回行きましたが、あれほど大掛かりなコンサートは、そうそう見られないものでした。ロックの巨大産業化に貢献したバンドとしても、音楽史に残ると思います。


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