白人が差別に怯えた日 /初期のエイズ騒動の歴史

8月18日はリュック・モンタニエの誕生日です。この人はHIVウイルスを発見した人で、エイズの研究にとって欠かせない人物でもあります。エイズが発見された頃、さまざまな騒動と混乱がありました。今回は、その騒動の話です。


カリニ肺炎患者の謎

1981年6月、アメリカの西海岸で5人のカリニ肺炎患者が出ました。医師たちが首をひねったのは、カリニ肺炎の病原体はそこら中にあるのですが、人間の免疫系統によって簡単に排除されるので、発症が極めて珍しいものだったからです。しかも5人も出るというのは不思議でした。



それからまもなくして、別の病院に運ばれた5人の患者がカポジ肉腫に感染していることがわかりました。これもカリニ肺炎と同様に、感染することはあっても発症がほとんどない病気です。

この不可解な出来事に、この10名の患者の家族や交友関係が調査されました。すると同性愛者か麻薬乗用者、またはその両方であることがわかりました。

HIVウイルスの発見

患者を研究した結果、免疫機能がほとんど機能していないことがわかりました。そのためカリニ肺炎のような、健常者なら発症しない病気にかかってしまうのです。なぜ免疫機能が作動しないのかという疑問に、さまざまな仮説が立てられました。

※HIVウイルス

そして1983年、リュック・モンタニエとフランソワーズ・バレシヌシが免疫機能の1つ、ヘルパーT細胞に感染するウイルスを発見します。HIVウイルスと名付けられ、すぐにワクチンの研究が始まりました。しかしワクチン開発は、あっという間に壁にぶつかります。

感染の流れ

人間の体内には免疫機能があり、さまざまなウイルスや細菌から体を守ります。免疫機能は軍隊のように組織されていて、パトロール部隊や攻撃部隊などの役割が割り振られています。そんな免疫機能を統括するのがヘルパーT細胞で、軍の司令官のような存在です。

※ヘルパーT細胞

体内に侵入したHIVウイルスは、ヘルパーT細胞に接触すると自らDNAを合成して、ヘルパーT細胞のDNAに組み込みます。ウイルスがDNAを合成するには逆転写酵素が必要ですが、HIVウイルスは自前で持ち込んでいて、容易にヘルパーT細胞に侵入してしまうのです。

こうなると軍の司令官が、見た目は同じなのに気が狂った別人になってしまい、軍隊は菌の侵入に対して攻撃部隊を派遣できません。さらに感染したヘルパーT細胞はクローンを生み出し、軍隊内に狂った司令官が複数現れて勝手バラバラに指示を出すわけです。こうして免疫機能は完全に機能不全になり、あらゆる病気に無抵抗になるのです。

ワクチンが作れない

ワクチンは攻撃するウイルスの染色体の数や形を書いた指名手配書と、攻撃指令書みたいなものです。しかしHIVウイルスは、染色体が変化するので、ワクチンに書いてある指名手配書では探し出せないのです。


この染色体の変化のため、今日までワクチンを作ることはできずにいます。

広がる差別

当初、感染者が全て白人だったため、白人特有の病気ではないかと思われました。プライバシーを理由に患者の人種が伏せられていましたが、歴史上始めて白人が差別される可能性があったので伏せられたとも言われました。後に黒人の感染者が見つかり、人種による違いはないことがわかります。

次に言われたのが、同性愛者特有の病気という話です。患者の大半が同性愛者だったため、同性愛がエイズの感染源として差別が始まります。そして異性との性行為も感染原因になることが分かると、性的にだらしない人の病気だと言われたりもしました。

日本でも厚生省の「いってらっしゃい エイズに気をつけて」のポスターが、エイズに感染する人は性的にだらしない人という風潮が生まれ、後に薬害エイズ問題へと発展していきます。



生物兵器や神の怒りという声も

免疫機能を攻撃し、しかも司令官のヘルパーT細胞を乗っ取る巧みさに加え、偶然ではなく最初から逆転写酵素を持っているという用意の良さから、どこかの国が人為的に開発した生物兵器ではないかという声が上がりました。今日ではジョークのように聞こえますが、当時は割と本気でこの説を唱える人がいました。

また人口増加が問題になっており、戦争ができない時代(当時は冷戦の末期)になったので、神が驚異的なウイルスを作って人口を減らそうとしているのではないかという声も上がりました。

偏見の変化

エイズの正しい理解を求める地道な運動が繰り返されますが、インパクトの点で最も大きかったのはバルセロナ五輪のバスケットボールでしょう。この大会からバスケットにプロが参加できるようになり、アメリカはNBAのスター軍団で組織したドリームチームを結成して、バルセロナに乗り込みました。その中にはエイズに感染したスーパースター、マジック・ジョンソンも含まれました。

※マジック・ジョンソン(右)

ドリームチームのメンバーは、得点するとマジックと抱き合い、同じタオルを使いまわしました。エイズ患者と抱き合っても、エイズ患者の汗がついても感染しないということを、全世界が注目する舞台で示したのです。マジックはその後もエイズ患者の情報を発信し、エイズへの偏見に一役買いました。

まとめ

エイズが見つかってからバルセロナ五輪までの約10年間は、エイズ患者への差別があふれていました。それを一つ一つ取り除き、今日に至っています。未知の恐怖は過剰な反応を示し、さまざまな混乱を起こしました。エイズ感染第一号とみられたカナダ人男性は、メディアに執拗に追いかけられて未知の病気をアメリカに持ち込んだ張本人として、激しい批判を受けました。

エイズの騒動を振り返ると、恐怖が差別を生み、知ることで解消できるというのを感じました。過剰な反応は、いつも悲劇しか生まないように思います。


コメント

このブログの人気の投稿

アイルトン・セナはなぜ死んだのか

私が見た最悪のボクシング /ジェラルド・マクレランの悲劇

はじめの一歩のボクシング技は本当に存在するのか?

バンドの人間関係か戦略か /バンドメイドの不仲説

鴨川つばめという漫画界の闇 /マカロニほうれん荘の革命