かつてアカデミー賞は酷いドレスの見本市だった /エリザベス・テイラーというボスキャラ

現在のアカデミー賞授賞式では、セレブの豪華な服が好意的な話題になることが多いですが、かつては俳優達の酷い服を笑って楽しむ場でもありました。服飾評論家のリチャード・ブラックウェル氏は、1960年からアカデミー賞授賞式のワーストドレスを発表してきましたが、その評価と関係ないところで、ワーストドレスの我が道を歩む人もいました。例えばエリザベス・テイラーです。

※エリザベス・テイラー




大女優エリザベス・テイラー

子役の頃から優れた演技力と美貌で周囲を圧倒してきたリズは、7度の離婚と8階の結婚を繰り返し、何度も大病を患いながら79歳で人生の幕を下ろしました。20世紀FOXの世紀の失敗作「クレオパトラ」では主演し、当時としては破格のギャラ(100万ドル+利益配分を前払い)で話題になりました。

※なにがなんだかわからないエリザベス・テイラー

時に何かが吹っ切れたような変な衣装で現れては周囲の度肝を抜き、悪評を楽しむかのような優雅さがありました。毎年「今年はどんな格好で来るのかな?」「ゲッ!羽が生えてるぞ!」「頭大丈夫?!」みたいな会話を多くの人が楽しんだものです。

センスのないハリウッドスター

1950年代頃までは服飾ブランドは王侯貴族を相手に商売をしていたので、映画俳優を顧客にすることを望みませんでしたし、ハリウッドのスターは映画スタジオで服を作っていました。しかし60年代から70年代にかけて俳優が自ら服を買うようになると、俳優によってセンスの善し悪しが目立つようになりました。

※安っぽいドレスを毛皮でゴージャスに見せていると言われたローレン・ハットン

そのため優れた役者ではあるものの、突然大金を手にした田舎者のように高額でへんてこりんな服を着てレッドカーペットに現れるハリウッドスターが増えてきました。またフォーマルな場でのドレスコードを知らないために、場違いな格好をするハリウッドスターが後を絶ちませんでした。

80年代までのハリウッドスターは、ごく一部を除いて野暮ったいというのが定説で、現在のように「ハリウッドスター=お洒落」という図式は、多くの俳優には当てはまりませんでした。




オスカー女優ジョディ・フォスター

1989年のアカデミー賞授賞式では、「告発の行方」で迫真の演技を見せたジョディ・フォスターが主演女優賞に輝きました。彼女はイタリアで自ら購入したドレスで授賞式に挑みますが、これが酷評されました。

※これ以上なく酷評されたジョディのドレス

短いスカートはフォーマルなドレスコードに合っておらず、腰につけたリボンは滑稽だと嘲笑の的になりました。各メディアはジョディがオスカーを獲ったことより、その酷いドレスばかりを報道してジョディは落ち込んでしまいました。そこに手をさしのべたのがアルマーニで、彼女のドレスを手掛けてレッドカーペットを宣伝の場に変えました。

この手法をあらゆるブランドが真似て、ハリウッドスターのマネキン化が始まります。それまでハリウッドスターの服を酷評してきたメディアは、広告主のブランドが提供している服を酷評するわけにはいかず、どれほど酷い格好でも褒め称える記事を書くようになります。これが現在も続いており、誰の目にも酷い服を素晴らしいと讃える記事が溢れています。

酷いドレスと酷評されたハリウッドスター

ダイアン・キートン(1978年)
※受付係がステージに出て来たと思われたそうです。


シシー・スペイセク(1981年)
※なぜジャンプスーツにしたのか謎だと書かれました。



シェール(1986年)
※モデルが本業ですが、場にそぐわないと酷評されました。



キム・ベイシンガー(1990年)
※片腕を出した襟付きのドレスは酷評の的になりました。


バーブラ・ストライザンド(2001年)
※もはや批判されるための格好にも見えます。

まとめ

このように変なドレスを着る人は多かったのですが、超大物俳優のエリザベス・テイラーが先頭に立って変な格好をしているのでボスキャラ的な存在感を示していました。リズのように悪目立ちでもOKという人もいるのですから、そういう人にはちゃんと変だと笑ってあげた方がいいと思うんですけど、広告主を悪く言えないというのは、何とも窮屈な世の中です。





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