御巣鷹山に日本航空123便が落ちてから33年
8月12日は日本航空123便が御巣鷹山に落ちた日でした。1985年のあの日のことは記憶に残っています。私は当時学生で、家族とテレビを見ていました。「クイズ100人に聞きました」の放送中にテロップで「日本航空機がレーダーから消えた」と出たのが、このニュースを知った最初でした。
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精神疾患を抱えた機長が、羽田空港への着陸寸前に逆噴射装置を作動させてしまい、羽田沖に飛行機を墜落させた事故で、ボイスレコーダーに残った「機長、何をするんですか」という副機長の叫び声は流行語になりました。
ホテルニュージャパン火災の翌日の事故であり、死者が24人も出る大事故だったため鮮明に人々の脳裏に記憶され、再び日本航空で何かトラブルが起こったと聞けば、また機長が何かしたのでは?と多くの人が思ったのです。
テレビは夜を徹して、御巣鷹山の状況を伝え続けます。そして自衛隊が救助に向かうものの、海への墜落は訓練しているが山への墜落はほとんど経験がないため困難になっていると、歯がゆい報道が続きました。米軍が救助に出動しているとかしていないとか、情報が錯綜していて何が本当かわからない状態が夜遅くまで続きます。
早い段階で機関士が「ハイドロプレッシャー・オール・ロス」と報告しています。「全油圧系統喪失」は、車に例えるならハンドルもクラッチもブレーキも効かない状況で、かろうじてアクセルだけが使える状態を意味します。機長の高濱雅巳は、エンジンパワーだけで30分以上飛行機を飛ばし続ける離れ業を見せました。
副機長が泣き声でもうダメだと言う中、高濱機長は叱咤しながら飛行機を飛ばし続け、不時着ポイントを見つけると「よし、ドーンといこう」と元気づけるように声を掛けていました。恐らく最も絶望的な状況に置かれていることを理解していたのは機長でしたが、最後まで絶望を感じさせない口調でした。
このボイスレコーダーを聞きながら、英雄とはこういう人のことなんだろうと思った記憶があります。
右は日本列島側への旋回で、山を越えて羽田に戻ることになります。左は太平洋上を通って羽田に戻る経路で、こちらの方が近道でした。結果的に山に墜落したこと、海の方が墜落しても助かる確立が高いことなどから、高濱機長の判断ミスで大事故に繋がったという指摘と、その反論が海山論争と呼ばれています。
上記の通り全油圧系統が喪失した中で、かろうじて操縦桿が動く方向にしか旋回はできないため、右か左かを機長が選べる状態ではなかったと考えられます。機長が右と言ったのは右にしか操縦桿が動かなかったからで、左にするべきだったと言うのは、あまりに見当外れだと思います。
また海の方が助かる確立が高いといのも変な理屈で、着地面が波によって上下する海への着水は機体に激しい負荷がかかるのでバラバラになりやすいのです。2009年の「ハドソン川の奇跡」により、やはり海の方が助かる確立が高いと海山論争が再燃しましたが、多くの航空機事故事例を見ていくと、海への着陸の方が安全とは決して言えないことがわかります。
陰謀説は単に面白いから流布されているだけで、遺族を傷つける行為にもなることに注意しなくてはなりません。
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さまざまな要因が重なり合った事故ですが、こういう事故は二度と起こって欲しくないですね。
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また機長が・・・
テロップを見た父は「レーダーから消えたんなら、落ちたかもしれんな」と言い、母は「また機長がなんかしたんかね」と言っていたと記憶しています。この当時は、その3年前に起こった日本航空350便の墜落事故の記憶が、まだ鮮明に残っていたのです。※羽田沖に落ちた日本航空350便 |
精神疾患を抱えた機長が、羽田空港への着陸寸前に逆噴射装置を作動させてしまい、羽田沖に飛行機を墜落させた事故で、ボイスレコーダーに残った「機長、何をするんですか」という副機長の叫び声は流行語になりました。
ホテルニュージャパン火災の翌日の事故であり、死者が24人も出る大事故だったため鮮明に人々の脳裏に記憶され、再び日本航空で何かトラブルが起こったと聞けば、また機長が何かしたのでは?と多くの人が思ったのです。
自衛隊からの報告
9時を過ぎると、テレビ各局はレーダーから消えた日本航空機のことばかりを放送していました。そして自衛隊が御巣鷹山で燃えている飛行機の機体を発見したという速報が入り、墜落したことがほぼ決定的になりました。山の一部が燃えている映像を見て日本航空123便が墜落したと誰もが思ったのですが、自衛隊の報告は山で燃えている物体を確認したというもので、主観や推測の入らない自衛隊の報告に感心した記憶があります。テレビは夜を徹して、御巣鷹山の状況を伝え続けます。そして自衛隊が救助に向かうものの、海への墜落は訓練しているが山への墜落はほとんど経験がないため困難になっていると、歯がゆい報道が続きました。米軍が救助に出動しているとかしていないとか、情報が錯綜していて何が本当かわからない状態が夜遅くまで続きます。
一度だけ放送されたボイスレコーダー
日本航空123便のボイスレコーダーの内容が、一度だけ放送されました。ボイスレコーダーは、コクピット内で死ぬ直前まで戦い続けた機長、副機長、機関士の記録であり、どれほど絶望的な状況だったかを物語っていました。早い段階で機関士が「ハイドロプレッシャー・オール・ロス」と報告しています。「全油圧系統喪失」は、車に例えるならハンドルもクラッチもブレーキも効かない状況で、かろうじてアクセルだけが使える状態を意味します。機長の高濱雅巳は、エンジンパワーだけで30分以上飛行機を飛ばし続ける離れ業を見せました。
副機長が泣き声でもうダメだと言う中、高濱機長は叱咤しながら飛行機を飛ばし続け、不時着ポイントを見つけると「よし、ドーンといこう」と元気づけるように声を掛けていました。恐らく最も絶望的な状況に置かれていることを理解していたのは機長でしたが、最後まで絶望を感じさせない口調でした。
このボイスレコーダーを聞きながら、英雄とはこういう人のことなんだろうと思った記憶があります。
海山論争のばかばかしさ
離陸から12分後に突然の減圧が起こり、飛行機の制御が困難になります。高濱機長は緊急救難信号を出し、管制塔に「緊急事態発生のため羽田に戻りたい」と告げています。管制官は右に旋回するか左に旋回するかを問い、高濱機長は右だと答えています。右は日本列島側への旋回で、山を越えて羽田に戻ることになります。左は太平洋上を通って羽田に戻る経路で、こちらの方が近道でした。結果的に山に墜落したこと、海の方が墜落しても助かる確立が高いことなどから、高濱機長の判断ミスで大事故に繋がったという指摘と、その反論が海山論争と呼ばれています。
上記の通り全油圧系統が喪失した中で、かろうじて操縦桿が動く方向にしか旋回はできないため、右か左かを機長が選べる状態ではなかったと考えられます。機長が右と言ったのは右にしか操縦桿が動かなかったからで、左にするべきだったと言うのは、あまりに見当外れだと思います。
また海の方が助かる確立が高いといのも変な理屈で、着地面が波によって上下する海への着水は機体に激しい負荷がかかるのでバラバラになりやすいのです。2009年の「ハドソン川の奇跡」により、やはり海の方が助かる確立が高いと海山論争が再燃しましたが、多くの航空機事故事例を見ていくと、海への着陸の方が安全とは決して言えないことがわかります。
陰謀説のばかばかしさ
以前にも書きましたが、陰謀説を信じている人は国家権力を過剰に高く信じています。自衛隊機が撃墜したなら、世界各国の航空会社は日本への乗り入れを停止しますし、ボーイング社の株主は天文学的な損害賠償を求める裁判を起こすでしょう。撃墜したのが米軍でも同様で、国が隠蔽しきれるようなレベルではありません。陰謀説は単に面白いから流布されているだけで、遺族を傷つける行為にもなることに注意しなくてはなりません。
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事故を忘れないために
日本航空では、新整備場駅のすぐ近くに「日本航空安全啓発センター」を設置し、当時の事故の残骸や遺品などを展示しています。とても貴重な資料が多く、多くの人が見ておくべき資料が展示されています。さまざまな要因が重なり合った事故ですが、こういう事故は二度と起こって欲しくないですね。
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