CDの価値

※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。

音楽の話題といえばAKB48か韓流という感じです。一説によるとテレビが横長になってから、大人数で踊る方が見栄えがよくなったのでグループの方が売りやすくなったそうです。グループが流行るのはいいですが、最近のCDの売り方は握手券とか投票権とかをくっつけて売っていますよね。音楽だけでなく、なにかプレミアをつけなくては売れなくなっているようです。



プレミアをつけるのもいいでしょう。そもそも日本のCDは高すぎると言われているのですから、なにかおまけがついたって良いと思います。しかしAKB48の投票権ですが、あれを目的に1人で何十枚とか何百枚とか買っている人がいるわけで、買われたCDの多くは聴かれないままになってしまいます。CDは買われるけど再生されないCDが増えるわけで、当然ながらああいうCDは中古市場でも二束三文でしょう。つまりCDの価値が下がっているわけです。

これには反論もあるでしょう。2000円のCDを投票権のために10枚買った人がいるとします。この人が聴くのは1枚のCDだけでしょう。他は二束三文で売られるか家で眠ることになるのでしょう。この人は1枚のCDに録音された音楽を聴くために2万円を払ったわけですから、CDの価値が10倍になったと考える人もいるかもしれません。AKB48はCDの価値を飛躍的に上げているのだという主張も成り立つように思います。

この二つの相反する主張はCDの役割というか、なぜCDを売るのかというところに帰結します。つまり前者のCDが安くなったという主張は「CDは音楽を聴いてもらうために売るもの」という考えに則っていて、後者の高くなったという主張は「CDは収益を上げるために売るもの」という考えに基づいているわけです。この主張はどちらも間違ってなく、以前はCDは「音楽を聴いてもらい、収益をあげるため」に存在していたわけですが、それが二つに分かれてしまったんですね。

以前は音楽を聴くにはコンサートに行くかレコードを買うか、テレビやラジオから流れるのを待つしかなかったのですが、ネットの出現によって聴きたければいつでも聴けるという環境が出来上がりました。そうなると確かに上記の2つは分けて考えた方がわかりやすく、聴いてもらうためならダウンロード販売でもOKなわけですし、利益を上げるためなら投票権でも握手券でもデート券でもなんでもつけて売ればいいわけです。

収益を上げるには大量消費が良いですから、CDを何度も聴いてもらう必要はありません。新曲が出るまで聴いてもらえばいいわけです。昔のようにレコードが擦り切れるまで聴くなんてされるよりも、大量に買って新しいのが出たら大量に買い足す方が利益面では嬉しいんですね。だから音楽の質よりもアトラクティブな面や話題性が重要になると思います。これってヴィトンあたりのブランド商法に似ています。品質を下げても、製品の話題性や伝統などのイメージがあれば高値で売れていますからね。

しかしそういうブランド商法はすでに飽きられています。欧米では消費者が疲れてしまい、マーケットの主戦場を日本に移しました。だからヴィトンの売上の大部分は日本からの収益です。ところが経済停滞も加わって、日本も疲れてしまいました。だから今は中国に主戦場を移そうとしています。恐らくその次はインドでしょう。つまりこのやり方はしばらくは爆発的な利益を生むものの、消費者が途中で疲れてしまうと思うのです。

そうなると疲れていない他の国でやるしかありません。音楽に関してはとっくに日本人は疲れていて、CD売上の減少がそれを物語っています。AKB48の成功はプレミア感の付加によって成り立っていますが、いずれ消費者は疲れ果てるでしょう。そうするとその先はあるのでしょうか?従来のミュージシャンらが売上を激減させ、新しく出てきた人たちはおまけ商法で席巻し、やけに元気なのは韓国勢という状況を見ると日本の音楽の将来は暗いように思います。

希望があるとすれば韓国勢でしょうか。かつてイギリス勢に席巻されたアメリカのように、日本も韓国勢に席巻されてから本気の巻き返しができるか、というのが興味深いところです。日本の音楽業界には頑張ってほしいな。著作権を振りかざす前に、やるべきことが沢山あるような気がします。







にほんブログ村 ニュースブログへ

にほんブログ村

コメント

このブログの人気の投稿

アイルトン・セナはなぜ死んだのか

私が見た最悪のボクシング /ジェラルド・マクレランの悲劇

はじめの一歩のボクシング技は本当に存在するのか?

バンドの人間関係か戦略か /バンドメイドの不仲説

鴨川つばめという漫画界の闇 /マカロニほうれん荘の革命