やっとわかった「24時間テレビ」の気持ち悪さ

※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。

体調を崩してブログを書くことも勉強する事も放棄してボーーーっとしていると、いろいろと考えを巡らす時間が増えました。その中でよく議論になる「24時間テレビ」の偽善について考えていました。批判派と擁護派がネットで激しくやりあっていますが、私はどちらの意見も納得できるものだと思っていました。しかしそういった理屈を抜きにして、私はあの番組が嫌いでした。なぜだろうと思っていたのですが、ようやくその理由がわかりました。




「24時間テレビ 愛は地球を救う」に関する批判は、主にタレントの出演料に関してのものです。募金を集めながら一方でタレントに高額の出演料を支払っているというのが、一部の芸能人からリークされたのが発端となって番組全体が偽善だという声があがりました。それに対して擁護派は、何もしないよりもましだという理屈が展開されています。確かに多くの海外ボランティア番組では出演者はノーギャラだそうですし、1億円集めるために出演料に3億円払っているなんてバカげていると思います。ギャラをもらって募金を呼びかけるというのは、それ自体が商売であるとみなされても仕方ないと思います。街にはびこる悪質な募金ビジネスと同類とまでは言えなくとも、批判されるのは当然だと思います。

同時にどういった手法であれ、困った人に援助の手が届くのは良いことだという意見も理解できます。タレントの売名行為が発端であったとしても、本当に困った人がそれで救われるならそれもまたよしという気もするわけです。そしてよくよく考えると、私はこれらのことを真剣に考えてもいないし、どうでもいいと思っていました。それなら24時間テレビに不快さを感じることもないのですが、どうも私は嫌いでした。特にあのマラソンが不快なんですよ。この不快さの正体はなんだろうと考えてしまいました。

なぜこんなことを考えたかというと、在日米軍の兵士が負傷兵への募金を募るために1日に4回の富士山登頂に挑戦するというニュースを目にしたからです。この人達は3回の登頂には成功したものの、登山客による渋滞のために4回目の登頂ができなかったのだそうです。この行為は24時間テレビでタレントがマラソンをやって募金を募るというのと同じだと思うのですが、不快には感じませんでした。何が違うのだろうか?と思ってしまったわけです。

いろいろ考えて思い当たったのは、仲間内の感動を公共の電波で流しているからだと思いました。私の友人が募金を募るために苦しいトレーニングを重ねて100kmのマラソンに挑戦すれば、私は応援するでしょう。傷む膝をこらえながら、歯を食いしばってゴールに向かってくれば私は泣いてしまうかもしれません。それがどれほどの成果を生むかはわかりませんが、ゴールを設定してそれに挑んだという行為に称賛を送ると思います。あくまでも私の友人だったらという場合です。

これが知らない人だったら「へぇ、すごいことをするもんだ」と感心するだけでしょう。先ほどの米兵の例がそうです。1回登るだけでも大変なのに、4回も登るなんてどんな屈強な男達だろうとも思います。しかし感心するだけで、恐らく目の前で見ても彼らの走りを見て泣いたりすることはないでしょう。なぜなら登山する米兵にも負傷兵にも、私にはなんの接点もないからです。すごい挑戦だとは思いますが、それ以上の感傷に浸ることはないと思います。

この手の感動とは、仲間内のものではないでしょうか。募金を受け取る人たちからすると、自分達のためにボロボロになって頑張ってくれていると泣けてきますし、仲間が全力でやっているのを見れば無条件に応援したくなります。しかし赤の他人が赤の他人のために何かをやっている姿は、立派な事だとは思っても感動して泣き出したりはしないと思うのです。そう、はるな愛が完走してもしなくても、凄いことをやったものだと感心するだけなのです。私が不快に感じた正体は、仲間内の感動を公共の電波に乗せれば、みんなも感動してくれるはずだという思い込みだと思いました。「俺は感動した。だからみんなも感動するはずだ」と仲間内の感動を他人にも見せようとする製作者の感性が気持ち悪いと思ったわけです。

感じ方は人それぞれですので、私とは全く違った意見をお持ちの方も沢山いると思います。ただ私が感じた正体は、どうやらこれだったようだと結論にいたったわけです。あれこれ思う人もいるでしょうし、まだまだ書きたいこともあるのですが、今日のところはこれでおしまいにします。






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COMMENT:
AUTHOR: say*3
DATE: 09/15/2010 22:38:51
・・・それを全面に出してたのが、島田紳助の番組なんでしょうかね?
あっちはさらに叩かれてたようですし。

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AUTHOR: 冬_寂
DATE: 09/15/2010 23:25:41
24時間テレビは私も大嫌いです。

特にイライラするのは難病と闘っていたり、心身に何らかの障害があったりする方々の生きる姿を取り上げること。

彼らのひたむきに生きる姿などを見て感動するのは…個人の自由ですよね。そんな人たちもいるということを知ることで、素直に感動することは全く悪くありません。

問題は、あの番組が、「消費するために感動を発生させる」ような、演出やらチャレンジの設定やらその他諸々。

例えば、肢体に障害があるから、補助無しでは歩行が困難だから、杖や車椅子の使いこなしに磨きをかけるのに、なぜ杖無しで歩かせる? 眼鏡なしでは生活に不都合がある人間に眼鏡なしで生きろ、視力を良くしろと言うのか?
障害あろうがなかろうが、難病だろうが健康だろうが…人間みんな多かれ少なかれ頑張っているのに。なぜ障害者?難病の患者?

なんか、「かわいそうな人たちが頑張って生きてる→感動」って流れに持って行きたがっているように自分は思えて、不快です。

…「かわいそう」って思った時点ですでに見下しているよ…


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COMMENT:
AUTHOR: jojo
DATE: 09/16/2010 00:38:13
確かに、小さい頃は見ていたがだんだん見なくなる番組ですよね。
百キロマラソンと言われても間寛平は地球一周してるし。どうせ高額のギャラを払うなら堀江貴文氏のように困っている人らを百キロマラソンさせてあげてギャラを支払えばいいのでは。

他にも「ドラえもん二十四時間一挙放送」
   「ドラマ24シーズン1 一挙放送」
   「サザエさん24時間 一挙放送」
   「海亀の産卵24時間全放送」
などの方が感動はできそうですね。


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COMMENT:
AUTHOR: boi
DATE: 09/16/2010 04:58:43
ツイッターで呟いた事もあるんですけど、ビートたけしとかに呆れるほどアホな事やらせて、面白かったら募金してね~。みたいなスタンスの方がよっぽど良いと思います。
なにがなんでも頑張らなきゃダメって世の中は何か不健全な気がします。甘えや弱さも含めて人間なんですから。

島田紳助も最近は感動の押し売りが酷いですね。トークの面白さと司会進行の上手さは芸能界随一なのにそこだけは好きになれません。

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COMMENT:
AUTHOR: TT
DATE: 09/16/2010 09:03:16
初めてコメントさせていただきます。
よろしくお願いいたします。

「感動の押し売り」は、24時間テレビに関わらず、その他の番組でも見受けられますね。バラエティでの「身内同士の盛り上がり」と同様、自分達が良いと思ったことは、視聴者も良いと思うはずという意識というか、思いあがりがテレビ制作者にあるのかなと思います。
問題は、24時間テレビのような企画やバラエティならまだしも、報道においても自分たちの視点のみが正しいという姿勢であってはほしくないと思うのですが、うーんと言う感じです。


jojo様
「ドラえもん二十四時間一挙放送」は、ぜひとも見てみたいです。
テレビ朝日さんが年末あたりに実際にやるかもとも思います(笑)。

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COMMENT:
AUTHOR: はねもね
DATE: 09/16/2010 11:26:56
なるほど、島田紳助の番組にある違和感も同類だったんですね。スッキリしました。これって作り手にとって、かなり安易な手法だと思うんですけどねぇ。。。


★冬_寂さん
まさにそれですね。消費するために感動を発生させていますね。無理に作り出されたものだから歪に見える事があるし、興ざめすることもありますね。ご指摘の無理に歩かせる例なんかは、全くもっておっしゃる通りだと思います。芸能人が障害のある人のところに行くのも、テレビなんかでやらずに個人的にやって欲しいですね。テレビの仕事だからやってるのか善意でやっているのか、その境界が曖昧になってしまいますから。

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COMMENT:
AUTHOR: はねもね
DATE: 09/16/2010 11:28:05
★jojoさん
ドラマ「24」の一挙放送は、スーパードラマTVでやってましたよ。見ていてクタクタになって、こっちが廃人になりそうでした(^_^;)

ドラえもんの24時間放送はやってほしいですね。「のび太の恐竜」から歴代の映画を一挙放送なんてどうでしょう。これは見る人が結構いると思うんですけどね。つまらないバラエティをやるよりは、喜ばれると思います。


★boiさん
そのツイート見ました。私もそういうのでいいと思います。海外での多くのチャリティ番組は、基本的にノーギャラです。もちろん交通費やホテル代は払われるようですが、それすら拒否する人もいるようです。しかしボランティアが一般的ではない日本では難しいんでしょうかね。

頑張ればなんだって出来るみたいなメッセージは、鬱病患者にとっては悪魔の呪文でしょうね。

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COMMENT:
AUTHOR: はねもね
DATE: 09/16/2010 11:29:00
★TTさん
確かに24時間テレビに限らないことのようですね。これって作り手として安易だと思うんですが、毎日番組を作らないといけないので安易な手法に頼らざるを得ないんでしょうか。

>報道においても自分たちの視点のみが正しいという姿勢

これは私も気になります。個人のブログやツイッターならともかく、それなりの肩書きがついた人が公共の電波でこれをやると、おかしな方に話が進む事があるんですよね。しかし今のメディアには自浄作用が期待できないので、これは変わらないでしょうね。

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COMMENT:
AUTHOR: Yes_No
DATE: 09/17/2010 00:13:14
>この手の感動とは、仲間内のものではないでしょうか。

近所の企業へ片道5km以上を毎日往復歩いて通勤している、知能にハンディキャップのある方がいます。近所の人達は、車通勤でたびたびすれ違うのですが、車に乗せることは有りません。彼は自分に出来ることが歩く事で、車に乗れないことには困っていないようです。
(毎日しっかり歩いているため健康そうで、逆に羨ましいです)

私の元上司は、目の見えない方からの依頼で、本の朗読・録音を、仲間内でボランティアとして行っています。仕事の片手間なので、出来る範囲だけだそうです。
(これは元上司から聞いた話です。その場を見た事では無いので、私には特別な共感や感動は湧きませんでした)

ハンディキャップがある方でも、出来る事は自分でする。ボランティアは、頼まれたら、それをしたい人がその事だけを出来る範囲ですれば良いことです。他人が無理強いすることでは無いです。

はねもねさんが言われるとおり、この手の感動は仲間内の事なので、強調して公共の電波に乗せるような事ではないでしょうね。


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COMMENT:
AUTHOR: フサイっち
DATE: 09/17/2010 23:13:11
とりあえず、もう笑点を組み込むのをやめてください…
何時から何時まで録画したらいいのかわからんし、
今はもう募金とも関係ないし…
(昔は座布団1枚1万円の寄付をしてましたが)

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COMMENT:
AUTHOR: はねもね
DATE: 09/19/2010 18:18:34
★Yes_Noさん
ボランティアというのは、持続可能の方がいいのでできる範囲で無理なくというのが自然な気がします。それが公園の掃除であれ、障害者のお世話であれ同じだと思います。

>ボランティアは、頼まれたら、それをしたい人がその事だけを出来る範囲ですれば良いことです。

私も全く同感ですが、なぜかボランティアを強要したがる人っていますよね。まだまだボランティアが特別な行為だからでしょうね。恐らく日本にもボランティアが定着すれば、ボランティアのあり方はずいぶんと変わるような気がします。



★フサイっちさん
笑点にかぎらず、あの中に含まれてしまった番組は何時から録画していいかわからなくなりますよね。あの迷惑さ加減は、私もわかりますよ(^_^;)
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