ボクシングのタトゥーはなぜ禁止なのか /解禁を禁止に向かわせるボクサー達

 近年、たびたび日本人ボクサーのタトゥー、刺青が問題になります。他の格闘技では刺青が許されるのに、なぜボクシングだけがダメなのかといった意見もありますし、海外のボクシング中継では刺青は普通なのに日本だけダメなのはおかしいという声もあります。そこで今回は、日本のボクシングの刺青事情を見ていきたいと思います。実は日本でも解禁の流れに向かっていたのですが、選手の行為によって解禁が遠のいているのです。



刺青への賛否

刺青賛成の意見の中には、海外では刺青は常識になっているのに日本だけが禁止なのはおかしいという意見や、刺青は文化であるという意見、刺青の禁止は時代錯誤だという意見が目立ちました。その一方で、外国人の刺青はお咎めなしで、日本人だけが禁止されている理由がわからないという意見も目立ちました。

※京口紘人(左) 井上尚弥(右)

また世界ライトフライ級王者の京口紘人は「ルールはあるものだから破ってはいけないものだと思う。ただ少数でタトゥー刺青は悪だ!入れる奴はそもそもマトモじゃない!」と、ルールの厳守と刺青を入れている選手への誹謗中傷への注意を促していました。またバンタム級世界王者の井上尚弥も「タトゥー 刺青が『良い悪い』ではなくJBCのルールに従って試合をするのが今の日本で試合をする上での決まり事。タトゥー、刺青を入れて試合がしたいのならルール改正に声をあげていくべき。まずはそこから」と、刺青の良し悪しではなくルールを守ることを主張しています。

最初はテレビの申し出だった

ボクサーの刺青が禁止されたのは、テレビ局の意向が大きく影響したと言われています。1952年(昭和27年)に白井義男がボクシング世界王座を獲得して以来、ボクシングはテレビ局にとって高視聴率を生み出すドル箱で、ボクシング世界戦は国民の関心事でもありました。そういった国民的行事に、刺青を入れたボクサーが映ることをテレビ局は嫌ったのです。当時はタトゥーという言葉もなく、刺青とは暴力団組員であることと同義でした。暴力団が大手を振ってテレビに映ることは、昔からタブーだったのです。

※白井義男

一方で、ボクシング興行から見るとテレビ中継は多くのスポンサーを獲得できる唯一の方法でした。テレビ局が中継するボクシングの試合には多くスポンサーが多額の資金を投じてCMを流し、その費用が選手のファイトマネーになっていきます。そのためテレビ局が刺青の入った選手の試合はテレビ中継できないと言えば、それに従うしかなかったのです。そこで国内のボクシングの試合を統括する日本ボクシングコミッション(JBC)は、「入れ墨など観客に不快の念を与える風体の者」は「試合に出場することができない」というルールを定めています。

このルールは暴対法が施行されると、厳格に運用することを求められます。テレビ局も試合会場も暴力団排除に懸命になっており、そういった流れの中で刺青を入れた選手をリングに上げることは絶対に無理だった訳です。

元祖刺青ボクサー大嶋宏成の登場

刺青禁止への動きに一石を投じることになったのは、大嶋宏成というボクサーでした。1975年生まれの大嶋は、中学校を卒業すると極道の世界に足を踏み入れました。上半身に大きく刺青を入れて暴力団員として活動していましたがが、やがて逮捕されてしまいます。そこで自分の人生を変えなくてはと思い、子供の頃に見たボクシングを思い出します。少年の頃にスポットライトを浴びてリングで戦うボクサーに憧れていたことを思い出し、学歴も資格もない自分には腕っぷししかないとボクサーになることを決意しました。

※大嶋宏成

出所した大嶋はあちこちのボクシングジムに入門をお願いしに行きますが、大嶋の体にある刺青を見るとプロでは無理だと断られました。諦めきれない大嶋はしらみ潰しにジムを回り、ついに輪島功一からウチにおいでと言ってもらえます。しかしジムのスタッフは慌てます。刺青があるのにプロになれるはずがなく、会長である輪島功一が安請け合いしてしまった以上は、本人に現実を見せるしかないと大嶋を連れて JBCに向かいました。そこでも大嶋は強い決意を語り、ついにJBC職員は刺青を消してきたらプロライセンス試験の受験を認めると言いました。

大嶋はすぐに借金をして手術を受け、プロライセンス試験を受けて合格しました。どうもJBC職員は刺青を消せと言えば諦めると思っていたようですが、大嶋の熱意によって刺青を消せばリングに上がれるという前例が生まれました。1997年に大嶋はプロデビューを飾り、日本タイトル挑戦の際には異例のテレビ中継が行われるほど話題のボクサーになりました。

外国人ボクサーの日本進出

かつて日本で大人気だったボクシングは、徐々に人気をなくしていきました。珍しかった日本人世界王者が何人も生まれ、日本全体の景気が良くなったことでボクサーになりたがる若者も減っていきました。日本の若者がボクシングジムに来なくなったことに反して、日本在住の外国人がジムを訪れるようになります。その中には光るセンスを持つ者もいましたし、プロを希望する若者もいました。ここで再び刺青が問題になっていきます。プロ希望の外国人の中には、宗教的な意味で刺青を入れている者、成人の印などその国の伝統で入れている者、単にファッションとして入れている者などがいました。そのため刺青を否定することは、その国の文化や宗教、個人のアイデンティティを否定することに繋がりかねません。

※元世界スーパーフェザー級王者ガーボンタ・デービス

そしてテレビ局とJBCが懸念しているのは暴力団がテレビ中継に映ることであって、明らかに暴力団関係者ではないとわかる外国人に刺青があってもなくても大きな問題ではなかったのです。そもそも世界戦などで海外からやってくる世界王者の中には、刺青が入っているボクサーが多数います。そのため刺青が入った外国人がリングに上がることには何ら違和感がなくなっています。こうして外国人ボクサーに関しては、JBC統括下の選手であっても黙認されるようになっていきました。

ファッションタトゥーの登場

やがて日本人の若者の中には、 ファッション感覚で刺青を入れる人が増えてきました。当然ながらボクシングジムにやってくる日本人の若者の中にも、ファッションタトゥーを入れた人がいました。例えば2012年に世界スーパーフライ級王者になった佐藤洋太などは、プロ入り前からファッションタトゥーを入れていました。ボクサーになろうとする若者が減っている中で、小さなタトゥーでプロになれないというのは歯痒い状況ですし、何より暴力団関係者と見間違えることはありません。


しかしファッションタトゥーと極道の刺青の境界は曖昧で、一度ファッションタトゥーを認めると事実上の刺青解禁になってしまいます。そこでファッションタトゥーは、ファンデーションなどで隠せば試合に出て良いということになりました。試合前にコミッショナーやJBC職員がきちんと隠れているか確認し、問題があれば塗り直すように指導しています。このようにボクシング刺青ルールは時代に合わせて変化していき、現在の形になっていきました。

ねじれたルール

ここまで書いてきたように、ボクシングの刺青ルールは混沌としています。海外から呼ぶ選手や日本のジムに所属している外国人選手の刺青は問題なく、日本人選手であってもファンデーションで隠せば良いというのは、あまり公平性がないうえに事実上の解禁とも言える状態です。そもそも刺青を禁止にしたのは暴力団対策であり、プロライセンス発行時に反社会勢力とは無関係であることを条件にしているため、刺青を禁止にする必然性は無くなっていると言えます。

さらに現在は海外のボクシングを気軽に見ることができる環境が揃っており、海外で刺青を入れたボクサー同士が試合をすることは珍しくありません。また日本国内でも総合格闘技のイベントでは、刺青を入れた日本人選手が試合をすることも珍しくなく、理屈のうえではボクシングで刺青を禁止する理由がなくなっています。そのためこれまで何度か、ボクシングでも刺青を解禁する動きがあったと聞いています。

心情的に嫌悪する人も多い

もしボクシングで刺青を解禁すると、ボクシングの景色が変化することは間違いありません。それに対する嫌悪感を持つ人もいるのは事実で、それが刺青解禁への最大のハードルとなるでしょう。そのため慎重な議論が必要になります。ところがちょくちょく違反する選手が出てくるため、その度にボクシングファンの中から批判が出てきています。

記憶に新しいのは、2020年の大晦日に世界戦を戦った井岡一翔選手です。試合中にファンデーションが落ちてきて、左腕から肩にかけて刺青がはっきり見えていました。また井岡選手は以前から刺青を入れていましたが、この試合の時は以前より刺青が増えており、ルールを軽視していると感じたファンもいました。そのため試合内容と同じくらい刺青のことが話題になり、批判の声があちこちから上がっていました。この一件は、ファン心情に配慮しつつ刺青解禁を目指していたボクシング関係者の努力を大きく交代させたと思います。

※井岡一翔

誤解を生まないように断っておくと、これまでも刺青を入れたボクサーは一定数がいたようです。しかし刺青を消したり、丁寧に隠したりして目立たないようにしてきました。現役の時に刺青を入れたボクサーもいたようですが、例えば足首に入れて試合ではソックスで隠すなどして、ルールに抵触しないようにしていました。刺青のあるボクサーであっても、ほとんどがルールを守ってきたわけです。

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不良でもリングに上がれるか

現在のボクシングはアマエリートが大活躍ですが、アマ経験のない叩き上げのボクサーもいます。最近は非行に走ることを「やんちゃ」というマイルドな言葉に置き換えるのが流行っていますが、プロボクシングの魅力の一つに「やんちゃ」だった子供が更生して稼げる場所だというのがあります。いわゆる「あしたのジョー」の世界です。


以前より簡単に刺青を入れることができるようになった現在では、「やんちゃ」な子供の中には中学生や高校生の年齢で刺青を入れているケースもあります。そういう子供が更生する際に、プロボクシングが門戸を閉ざすのは少し残念なことだと思います。ですから刺青があってもプロテストを受けられる方が良いと思いますし、刺青のままリングに立つのも今の時代は問題ないと思います。

しかし井岡一翔選手の刺青は、世界王者が「やんちゃ」になったケースであり、「やんちゃ」が更生するのとは真逆の話になります。名声と社会的地位と賞賛を浴びる地位に立つ男が、「やんちゃ」になる物語に私は興味がありません。しかし反対に「やんちゃ」になってしまった子供の更生の道の一つとして、ボクシングがあっても良いと思うのです。

まとめ

ボクシングの刺青問題は、刺青自体が問題なのではなく暴力団排除の流れの中で生まれました。そのため近年に新しく勃興している格闘技団体は、反社会勢力との繋がりがない念書を出場選手に書かせることで対応し、刺青に関しては特に規制をしていません。そのため刺青問題は、歴史があるボクシングだけで騒がれることになってしまいました。禁止されている刺青を、わざわざ入れて誇示するようなボクサーがいる間はボクシングの刺青解禁はないと思います。関係者がもう少し落ち着いて考えていって欲しいですね。


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