短距離走のドーピングを考える /怪しいと言われる人はクロなのか
不正な薬物を使用して、競技の成績を向上させようとする選手は後を絶ちません。最近でも水泳の選手が薬物使用を疑われ、血液検体をハンマーで叩き壊してドーピング検査を妨害する行為がありました。不正薬物の使用例が多いため、好成績を出すと疑われるケースもあり、また検査もすり抜ける技術とのイタチごっこになっているため怪しいと言われる人が多くいるのが現状です。しかし中には飛びぬけた身体能力を持っている人がいるのも事実で、好成績を出しただけで疑われるのも気の毒な話です。
9秒95 ジム・ハインズ(1968年)
9秒93 カルヴィン・スミス(1983年)
9秒83 ベン・ジョンソン(1987年)→取り消し
9秒79 ベン・ジョンソン(1988年)→取り消し
9秒92 カール・ルイス(1988年)
9秒90 リロイ・バレル(1991年)
9秒86 カール・ルイス(1991年)
9秒85 リロイ・バレル(1994年)
9秒84 ドノバン・ベイリー(1996年)
9秒79 モーリス・グリーン(1999年)
9秒77 アサファ・パウエル(2005年
9秒74 アサファ・パウエル(2007年
9秒72 ウサイン・ボルト(2008年)
9秒69 ウサイン・ボルト(2008年)
9秒58 ウサイン・ボルト(2009年)
1983年にカルヴィン・スミスが15年ぶりに世界記録を更新した際は、大ニュースになりました。当時私は陸上部に所属していたので、顧問の先生がどれほど大変なことかを力説していました。スミスは世界的なスターになりますが、ロス五輪ではカール・ルイスが金メダルを獲り、圧倒的な速さを見せるルイスでさえ世界記録に届かないのかと驚いたものでした。
こうして記録を並べると、ベン・ジョンソンの異常性がわかると思います。1988年のソウル五輪で9秒79という圧倒的な速さで世界記録を更新しますが、ドーピング検査でアナボリックステロイドが検出されて記録は取り消されました。ジョンソンが出した9秒79に追いつくのは、それから11年後のモーリス・グリーンです。数年かけて100分の1秒を縮める100m走において、ジョンソンの記録はあまりに速すぎたのです。
さらにスパイクそのものも進化しています。オリンピックで多くの選手が靴紐を結ばずにコースに出ているのを目撃しますが、足に完全にフィットし、走る時に最適化されているため歩きにくくなっています。選手はレース直前に靴紐を結び、10秒程度のレースが終わると靴紐を緩めて歩き出します。
このような用具の進化に加えて、走り方も大きく変化しました。私が陸上を習った80年代前半と現在では、走り方が全く違っています。
テレツはカール・ルイスやリロイ・バレルをコーチして世界記録を何度も更新し、陸上競技に革命を起こしました。テレツは最も加速する中間疾走が重要と考え、従来よりも遥かに長い距離を中間疾走に使いました。テレツはスタートダッシュに重きを置かず、いかに早く中間疾走に移行するかが重要でした。
さらにテレツは地面を蹴らない走り方を推奨し、太ももを上げないことを勧めました(「太ももはあげるのではなく、上がるのだ」と言っている)。ここでは挙げきれませんが、テレツは科学的な裏付けを元に理論を組み立て、それを元に指導して実績を積みました。陸上界でテレツの理論はバイブルになります。そこにジョン・スミスというコーチが現れ、テレツの理論を真っ向から否定しました。
スミスは速いスタートダッシュを奨励し、可能な限り速く足を前に出すことを要求しました。そのためスミスは地面を蹴るように走りますが、その蹴り方はスピードスケートのようでした。スミスの理論は指導したモーリス・グリーンが世界記録を更新したことで広く受け入れられ、スミスとデレツは互いに批判しあいます。現在の優秀な陸上コーチは、もれなくデレツかスミスまたは両方の影響を受けています。
両者の技術革新が世界記録を更新し続けたのはまぎれもない事実ですが、一方では2人が教えているのはカーレースのレーシングテクニックに過ぎないという意見もあります。カーレースではレーシングテクニックと同じくらいマシンのポテンシャルが重要になります。100m走ではトレーニングでは補い部分、身長や手足の長さ、骨格のつくりなど才能と呼ばれる部分も重要になります。ですから100m走においても「最後はどちらが良いエンジンを積んでいるかで決まる」という冷めた意見があるのも事実です。
11.07 ワイオミア・タイタス(1968年)
11.07 レナーテ・シュテヒャー(1972年)
11.04 インゲ・ヘルテン(1976年)
11.01 アンネグレート・リヒター(1976年)
10.88 マルリース・ゲール(1977年)
10.81 マルリース・ゲール(1983年)
10.79 エベリン・アシュフォード(1983年)
10.76 エベリン・アシュフォード(1984年)
10.49 フローレンス・ジョイナー(1988年)
男子と同じく100分の1秒、100分の2秒を縮めるのに何年もかかっています。ところがジョイナーは、0.27秒も一気に縮めてしまう驚異の記録更新でした。そしてこの圧倒的な記録は、1988年から30年経っても破られていません。続く記録は09年のカーメリタ・ジーターが10秒64で、歴代2位につけています。シドニー五輪で圧倒的強さを見せつけたマリオン・ジョーンズは、98年に10秒65を出したのが最高で、薬物を使用していたことを自白しています。このことからも、ジョイナーの記録がいかに圧倒的かがわかると思います。
ジョイナーは20代前半の80年代半ばまでは平凡なタイムでしたが、20代後半になってから急激にタイムが伸びています。多くの選手が世界レベルの大会に出てからはタイムが伸びづらいのに、ジョイナーは2度目のオリンピックで爆発的なタイムを記録しました。これはドーピングで陽性反応が出たベン・ジョンソンも同様で、ロス五輪では100mは3位で、10秒22というタイムでした。しかしソウル五輪では9秒79という圧倒的なタイム(しかも最後は流していた)で世界記録を更新しました。
ジョイナーの記録の伸び方はベン・ジョンソンに似ていて、そのためジョイナーには薬物使用疑惑が根強く残っています。また38歳で亡くなったというのも、疑惑に拍車をかけました。世界レベルの大会に出てからはタイムが伸びにくいという視点で、もう一度男子の歴代記録を見ると、異常なペースでタイムを伸ばしている選手がいることに気が付きます。この選手も薬物使用の疑いの目が向けられていますが、陽性反応が出たことはありません。
1985年に東ドイツのマリタ・コッホは、女子400m走で47秒60という記録を出しました。計7度も世界記録を更新したコッホですが、このタイムは異常で30年以上経った現在でも抜かれる気配すらありません。21世紀に入って女子400m走の最高記録は、06年にアメリカのサーニャ・リチャーズが出した48秒70です。一緒に走れば10m近い差をつけてコッホが勝ってしまいます。この記録は、未来永劫抜かれることはないと言われています。
女子円盤投では、1988年に東ドイツのガブリエレ・ラインシュが76m80という記録を出しました。この記録は男子の世界記録74m08を大きく上回るもので、円盤のサイズが男女で違うことを差し引いても、陸上競技で唯一女子が男子を上回っている記録になります。砲丸投やハンマー投も男女で重さが違いますが、女子が上回ることはありません。そもそも女子円盤投の歴代トップ10の記録は、多くが男子を上回っていて、その記録の全てが80年代に出たものです。
現在の女子円盤投は70mも投げたら大記録で、世界陸上でもオリンピックでも60m代で優勝が決まります。この76m80という記録は、記録更新することが不可能なアンタッチャブルレコードと言われていて、目標にする選手すらいない有様です。東ドイツでは国を挙げてスポーツに取り組んでいて、薬物使用に積極的だったと言われています。
80年代にドーピング検査を受けた東ドイツの女子陸上選手3人は、全員が陰性でした。しかし3人の尿の成分が全く同じだったため、薬物にクリーンな人間の尿を、尿道からガラス管を使って膀胱に流し込んだのではないかと言われました。当然ながら、気が遠くなるほどの痛みがあるはずですが、東ドイツならやりかねないと言われました。
実は2005年から選手の尿と血液の保存が始まっていて、技術進歩を待ってから再検査が可能になっているのです。それが不可能な時代のものは全てリセットしようというわけですが、当然ながら賛否両論です。特に世界記録保持者からの反対が強く、実現はしていません。もっとも欧州連盟の提言は、薬物の不正使用が絶えない現状への警鐘の意味合いが強く、何が何でも記録をリセットするというものでもなかったようです。
今やドーピングは大きな問題になっていて、メダリストの違反が発覚して繰上りでメダルを獲得した選手も、喜びより陸上競技の信頼の失墜を心配する声が増えています。陸上競技は、これからも薬物で揺れそうです。
陸上100mの記録の歴史
陸上の世界記録は3人のストップウォッチによる計測でしたが、途中から電動計時に代わりました。1977年以降は電動計時による表示のみになっています。電動計時による記録更新の歴史を並べてみましょう。9秒95 ジム・ハインズ(1968年)
9秒93 カルヴィン・スミス(1983年)
9秒83 ベン・ジョンソン(1987年)→取り消し
9秒79 ベン・ジョンソン(1988年)→取り消し
9秒92 カール・ルイス(1988年)
9秒90 リロイ・バレル(1991年)
9秒86 カール・ルイス(1991年)
9秒85 リロイ・バレル(1994年)
9秒84 ドノバン・ベイリー(1996年)
9秒79 モーリス・グリーン(1999年)
9秒77 アサファ・パウエル(2005年
9秒74 アサファ・パウエル(2007年
9秒72 ウサイン・ボルト(2008年)
9秒69 ウサイン・ボルト(2008年)
9秒58 ウサイン・ボルト(2009年)
1983年にカルヴィン・スミスが15年ぶりに世界記録を更新した際は、大ニュースになりました。当時私は陸上部に所属していたので、顧問の先生がどれほど大変なことかを力説していました。スミスは世界的なスターになりますが、ロス五輪ではカール・ルイスが金メダルを獲り、圧倒的な速さを見せるルイスでさえ世界記録に届かないのかと驚いたものでした。
※カルヴィン・スミス(右端)とカール・ルイス(左から2人目) |
こうして記録を並べると、ベン・ジョンソンの異常性がわかると思います。1988年のソウル五輪で9秒79という圧倒的な速さで世界記録を更新しますが、ドーピング検査でアナボリックステロイドが検出されて記録は取り消されました。ジョンソンが出した9秒79に追いつくのは、それから11年後のモーリス・グリーンです。数年かけて100分の1秒を縮める100m走において、ジョンソンの記録はあまりに速すぎたのです。
※ベン・ジョンソン |
科学の進歩が記録をつくる
15年間も更新されなかった100mの世界記録が、80年代以降に急速に記録更新を繰り返すようになりました。その理由の1つとして、競技場の進化があります。かつては赤土にコークスを混ぜたコースで、選手は釘のようなスパイクピンがついた靴で走っていました。しかし現在はコンクリートの上にゴムを貼ったコースになり、スパイクピンも様々な種類が開発されました。最新の競技場ではゴムを張るのではなく。ポリウレタンが使用されているそうです。さらにスパイクそのものも進化しています。オリンピックで多くの選手が靴紐を結ばずにコースに出ているのを目撃しますが、足に完全にフィットし、走る時に最適化されているため歩きにくくなっています。選手はレース直前に靴紐を結び、10秒程度のレースが終わると靴紐を緩めて歩き出します。
※1920年代のスパイクだそうです。 |
このような用具の進化に加えて、走り方も大きく変化しました。私が陸上を習った80年代前半と現在では、走り方が全く違っています。
走り方の変化
100m走は3つの区間に分けられます。スタートダッシュ、中間疾走、フィニッシュするエリアで、かつてはフィニッシュは走るのではなくゴールテープめがけてジャンプすることが奨励されました(現在では走り抜ける方が速いと分かっている)。基本的に走り方は地面を前に蹴り、太ももを高く上げて一歩の距離を伸ばすことが求められました。そこにトム・テレツというトレーナーが登場します。※トム・テレツ |
テレツはカール・ルイスやリロイ・バレルをコーチして世界記録を何度も更新し、陸上競技に革命を起こしました。テレツは最も加速する中間疾走が重要と考え、従来よりも遥かに長い距離を中間疾走に使いました。テレツはスタートダッシュに重きを置かず、いかに早く中間疾走に移行するかが重要でした。
さらにテレツは地面を蹴らない走り方を推奨し、太ももを上げないことを勧めました(「太ももはあげるのではなく、上がるのだ」と言っている)。ここでは挙げきれませんが、テレツは科学的な裏付けを元に理論を組み立て、それを元に指導して実績を積みました。陸上界でテレツの理論はバイブルになります。そこにジョン・スミスというコーチが現れ、テレツの理論を真っ向から否定しました。
※ジョン・スミス(左) |
スミスは速いスタートダッシュを奨励し、可能な限り速く足を前に出すことを要求しました。そのためスミスは地面を蹴るように走りますが、その蹴り方はスピードスケートのようでした。スミスの理論は指導したモーリス・グリーンが世界記録を更新したことで広く受け入れられ、スミスとデレツは互いに批判しあいます。現在の優秀な陸上コーチは、もれなくデレツかスミスまたは両方の影響を受けています。
両者の技術革新が世界記録を更新し続けたのはまぎれもない事実ですが、一方では2人が教えているのはカーレースのレーシングテクニックに過ぎないという意見もあります。カーレースではレーシングテクニックと同じくらいマシンのポテンシャルが重要になります。100m走ではトレーニングでは補い部分、身長や手足の長さ、骨格のつくりなど才能と呼ばれる部分も重要になります。ですから100m走においても「最後はどちらが良いエンジンを積んでいるかで決まる」という冷めた意見があるのも事実です。
ドーピング疑惑
1988年のソウル五輪でベン・ジョンソンがドーピング検査で陽性反応が出て失格になり、それまでの記録も抹消されました。この時、女子100mで優勝したフローレンス・ジョイナーも薬物使用が疑われていましたが、ジョイナーに陽性反応が出ることはありませんでした。ここで女子の世界記録更新の歴史も見てみましょう。11.07 ワイオミア・タイタス(1968年)
11.07 レナーテ・シュテヒャー(1972年)
11.04 インゲ・ヘルテン(1976年)
11.01 アンネグレート・リヒター(1976年)
10.88 マルリース・ゲール(1977年)
10.81 マルリース・ゲール(1983年)
10.79 エベリン・アシュフォード(1983年)
10.76 エベリン・アシュフォード(1984年)
10.49 フローレンス・ジョイナー(1988年)
男子と同じく100分の1秒、100分の2秒を縮めるのに何年もかかっています。ところがジョイナーは、0.27秒も一気に縮めてしまう驚異の記録更新でした。そしてこの圧倒的な記録は、1988年から30年経っても破られていません。続く記録は09年のカーメリタ・ジーターが10秒64で、歴代2位につけています。シドニー五輪で圧倒的強さを見せつけたマリオン・ジョーンズは、98年に10秒65を出したのが最高で、薬物を使用していたことを自白しています。このことからも、ジョイナーの記録がいかに圧倒的かがわかると思います。
ジョイナーは20代前半の80年代半ばまでは平凡なタイムでしたが、20代後半になってから急激にタイムが伸びています。多くの選手が世界レベルの大会に出てからはタイムが伸びづらいのに、ジョイナーは2度目のオリンピックで爆発的なタイムを記録しました。これはドーピングで陽性反応が出たベン・ジョンソンも同様で、ロス五輪では100mは3位で、10秒22というタイムでした。しかしソウル五輪では9秒79という圧倒的なタイム(しかも最後は流していた)で世界記録を更新しました。
※フローレンス・ジョイナー |
ジョイナーの記録の伸び方はベン・ジョンソンに似ていて、そのためジョイナーには薬物使用疑惑が根強く残っています。また38歳で亡くなったというのも、疑惑に拍車をかけました。世界レベルの大会に出てからはタイムが伸びにくいという視点で、もう一度男子の歴代記録を見ると、異常なペースでタイムを伸ばしている選手がいることに気が付きます。この選手も薬物使用の疑いの目が向けられていますが、陽性反応が出たことはありません。
アンタッチャブルな世界記録
薬物でスポーツの好記録を出すという研究が進歩し、それを見つけるドーピング検査の技術が未熟だったと言われる80年代には、驚異的な世界記録が存在します。1985年に東ドイツのマリタ・コッホは、女子400m走で47秒60という記録を出しました。計7度も世界記録を更新したコッホですが、このタイムは異常で30年以上経った現在でも抜かれる気配すらありません。21世紀に入って女子400m走の最高記録は、06年にアメリカのサーニャ・リチャーズが出した48秒70です。一緒に走れば10m近い差をつけてコッホが勝ってしまいます。この記録は、未来永劫抜かれることはないと言われています。
※マリタ・コッホ |
女子円盤投では、1988年に東ドイツのガブリエレ・ラインシュが76m80という記録を出しました。この記録は男子の世界記録74m08を大きく上回るもので、円盤のサイズが男女で違うことを差し引いても、陸上競技で唯一女子が男子を上回っている記録になります。砲丸投やハンマー投も男女で重さが違いますが、女子が上回ることはありません。そもそも女子円盤投の歴代トップ10の記録は、多くが男子を上回っていて、その記録の全てが80年代に出たものです。
※ガブリエレ・ラインシュ |
現在の女子円盤投は70mも投げたら大記録で、世界陸上でもオリンピックでも60m代で優勝が決まります。この76m80という記録は、記録更新することが不可能なアンタッチャブルレコードと言われていて、目標にする選手すらいない有様です。東ドイツでは国を挙げてスポーツに取り組んでいて、薬物使用に積極的だったと言われています。
80年代にドーピング検査を受けた東ドイツの女子陸上選手3人は、全員が陰性でした。しかし3人の尿の成分が全く同じだったため、薬物にクリーンな人間の尿を、尿道からガラス管を使って膀胱に流し込んだのではないかと言われました。当然ながら、気が遠くなるほどの痛みがあるはずですが、東ドイツならやりかねないと言われました。
記録をリセットする動き
2017年、欧州陸上競技連盟の理事会で、思い切った提案が出されました。2004年以前に達成された世界記録を全て抹消するというのです。この提案は理事の満場一致で承認されました。この案が可決されると、アテネ五輪までに達成された世界記録は全て抹消されることになります。実は2005年から選手の尿と血液の保存が始まっていて、技術進歩を待ってから再検査が可能になっているのです。それが不可能な時代のものは全てリセットしようというわけですが、当然ながら賛否両論です。特に世界記録保持者からの反対が強く、実現はしていません。もっとも欧州連盟の提言は、薬物の不正使用が絶えない現状への警鐘の意味合いが強く、何が何でも記録をリセットするというものでもなかったようです。
まとめ
現在の陸上の世界記録は、常識的にありえない記録がいくつか残っていて、薬物の影響がないとは言えない状況です。近年、ドーピング検査を受けている選手でも、従来の常識からすると怪しい選手が複数いて、世界記録保持者にも疑惑の目が向けられています。ほとんどの選手は、ワールドクラスの大会に出るまでに大きな成長を遂げていて、それ以降は膨大な努力で少しずつ記録を伸ばしていますが、一部の選手は2度目のオリンピックで飛躍的に記録を伸ばしたり、成長期が過ぎた20代後半になってから成績が大幅に向上したりで、どうしても疑惑の目が向けられてしまうのです。今やドーピングは大きな問題になっていて、メダリストの違反が発覚して繰上りでメダルを獲得した選手も、喜びより陸上競技の信頼の失墜を心配する声が増えています。陸上競技は、これからも薬物で揺れそうです。
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