吉田沙保里選手の引退に関して思ったこと

ブログによる報告で、吉田沙保里選手は引退を表明しました。女子レスリングを代表する選手であり、日本を代表するアスリートの引退ですから、大きく報じられています。今回は吉田沙保里選手について、思ったことを書き連ねていきたいと思います。


90年代は山本姉妹の時代だった

私が女子レスリングを知ったのは、山本美憂の世界選手権優勝のニュースでした。世界選手権を連覇し、最強女子と呼ばれながら美貌でも注目された山本美憂は、レスリングに女子の大会があることを日本に広く知らしめました。

※今やRIZINの顔となった山本美憂

そして妹の山本聖子が99年に世界選手権で優勝すると、レスリングの美人姉妹として注目されます。ミュンヘン五輪に出場した山本郁栄を父に持つサラブレッドとしても注目株で、女子レスリングに世間の関心を引きつけた立役者でした。

アテネ五輪で正式種目に

オリンピックの正式種目になると、山本聖子はメダル候補の筆頭でした。ところが世界選手権の7階級からオリンピックでは4階級になったため、59kg級の世界王者の山本は55kg級に転向します。そして2002年のジャパンクイーンズカップの決勝で、吉田沙保里に負けました。この時、私は初めて吉田沙保里という名前を知りました。

吉田はそのまま世界選手権でも優勝し、一躍メダル候補になりました。それでもまだ女子レスリングの主役は山本聖子でした。愛らしいルックスから、世間の注目度は雲泥の差だったのです。そして五輪代表を決めるジャパンクイーンズカップが2004年に行われました。山本に群がる取材陣に対し、吉田にはテレビ朝日のカメラがつくだけで、吉田も「本当はテレ朝さんも、山本選手の取材に行きたいんじゃないですか?」と苦笑いしながら問いかけるほどでした。

最大の山場だった2004年

幼少の頃からレスリングを父に仕込まれ、試合で負けると泣き出す吉田に父はビンタしていました。しかし一つ年上の山本聖子に負けた時は別でした。「あの子は別格だ」と父も認める山本聖子は、後に吉田より重い階級に行ったために対決はなくなりました。

長い手足を持つ山本は懐が深く、吉田がタックルを仕掛けてもなかなか決まりません。タックルが失敗すると山本はすぐにガブり、日本人離れしたパワーであっさりとリフトしてしまいます。吉田にとって山本はもっとも相性の悪い相手でした。2002年に勝ったとはいえ、オリンピック選考を兼ねた2004年のクイーンズカップで、同じように勝てる保証は全くありませんでした。

※2004年ジャパンクイーンズカップ決勝

この時、吉田はタックルを徹底的に研ぎ澄ませていきます。山本の深い懐に一瞬で入り、瞬時に山本の体勢を崩すノーモーションで高速のタックルを磨き続けていきました。そしてクイーンズカップの決勝で山本を下した吉田は、その勢いをそのままアテネで金メダルを獲得します。

59kg級の世界王者山本に勝った55kg級世界王者の吉田にとって、オリンピックの優勝は当然の結果でした。オリンピックには山本より強い選手などいるはずがなかったからです。

驚異的な連覇

その後も連戦連勝を繰り返していきますが、北京オリンピックの直前に、約7年間続いた連勝記録が止まりました。明らかにタックルを見切られての敗戦で、ショックのため部屋から出てこなくなったと言います。オーバーワークや、攻撃のワンパターンさなど原因はいくつも言われました。

吉田が部屋から出てこなくて塞ぎ込んでいると聞いた山本聖子は、いても立っていられず姉の美優に相談します。「そんなに心配ならメールでもしたら?」と言われ、浜口京子に吉田のメールアドレスを教えてもらって連絡しています。

今日は悔しかったね。でも私は今も沙保里ちゃんが世界で一番強いと思っているよ。
P.S.わきの脱毛には行きましたか?

メールを見てふさぎ込んでいた吉田は笑ったそうですが、これ以降、それまでほとんど口をきいたことがなかった2人の親交が続いているようです。敗戦から半年後の北京オリンピックで、吉田は全ての試合で相手を圧倒して金メダルを獲得しました。私はアテネの金メダルよりも、北京の金メダルの方が驚きました。敗戦から怒涛の復活だったからです。

ワンパターンだが強かった吉田

必ず吉田はタックルを仕掛けてくる。誰でもそれは知っていました。引き込んだり投げたりすることは皆無で、必ずタックルを仕掛けてくる吉田は、相手からするとワンパターンで組みやすい相手だったはずです。しかしわかっていても、誰もがタックルの餌食になりました。



長期間現役を続ける選手は、年齢とともに戦い方を変えてくるものです。筋肉が衰え、その代わりに試合経験によって培われた駆け引きが巧みになり、変化せざるをえないのです。もちろん吉田沙保里も変化しましたが、タックルで決めるやり方は、変わらず続きました。

多芸になることなく一芸を磨き続け、居合抜きのような鋭さでタックルを決める吉田沙保里のレスリングは、求道者のようで日本人に好まれるスタイルだったと思います。

アレクサンドル・カレリンとの比較

オリンピックと世界選手権の連続優勝が13大会になり、男子グレコローマン130kg級のアレクサンドル・カレリンの記録を更新しました。レスリングで最も多くの大会を連覇した選手として、吉田沙保里はギネスブックにも掲載されました。

※アレクサンドル・カレリン

偉業であり吉田沙保里の凄さを語るに十分な内容ですが、これをもって「カレリンを越えた」というのは、レスリングを軽んじているようにも感じます。同じレスリングでも女子と男子では競技人口が全く異なり、競技選手層の厚さが違います。

これをサッカーに例えると、ワールドカップで優勝しバロンドールを獲得した日本女子サッカーの澤穂希は、ブラジルの名選手ネイマールを超えたと評するようなものです。いや、ネイマールはサッカーの歴史にどれほど名前を残せるのか現時点では未知数ですが、カレリンはレスリングの歴史に燦然と名前を刻んだ人物ですから、澤とネイマールの比較よりも極端なものになってしまいます。

数字の上でカレリンの記録を超えたのは事実ですし、吉田沙保里の偉大な記録は本当に価値のあるものなのですから、無理な比較をして胡散臭くするのではなく吉田沙保里の業績をたたえれば良いのだと思います。

見たかった伊調馨との直接対決

東京五輪から階級が変更になり、伊調馨と吉田沙保里が共に53kg急にエントリーする可能性が急浮上していました。オリンピックを3連覇した吉田と4連覇した伊調との対戦は、大きな注目を集めたでしょう。

※吉田沙保里と伊調馨

しかしパフォーマンスの低下は本人が一番感じていたことでしょうし、なによりお父さんが亡くなり、パワハラ問題で栄コーチもいなくなったのですからモチベーションの問題や不安もあったかもしれません。それに連覇の記録が止まったため、これ以上なにを証明するのかわからなくなっていたのかもしれません。

まとめ

女子レスリングの知名度向上に貢献し、日本を代表するアスリートだった吉田沙保里の引退は海外でも報じられていたようです。今後は指導者の道ではなくタレントに向かうようですが、それも面白い挑戦だと思います。栄コーチ辞任の際に後継者として打診されたようですが固辞していますので、本人は指導者向きではないと考えているのでしょう。今後、どんな道に進んだとしても興味深いキャラクターでもあります。

さて女子レスリングには、吉田沙保里の後を継ぐような選手が出てくるでしょうか。苦戦が続いている登坂絵莉、伊調馨に勝利した川井梨紗子、全日本選手権を8連覇している土性沙羅など、多くの選手に期待しましょう。

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