グリコ森永事件が変えた警察 /所轄対本庁の始まり

CS放送で、以前NHKが放送したグリコ森永事件の特集を放送していたので、思わず見入ってしまいました。戦後最大の刑事事件とも言われながら、死者はゼロで犯人は1円も手に入れていないことになっている事件です。この事件は、警察の所轄と本庁の溝を広げた事件とも言われています。振り返ってみましょう。

※容疑者の「キツネ目の男」

事件の発端

1984年3月18日の午後9時ごろ、自宅で風呂に入っていた江崎グリコ社長の江崎勝久氏が、拳銃と空気銃で武装した3人組に全裸のまま拉致されました。犯人は身代金として現金10億円と金塊100kgを要求しますが、受け取り指定場所に犯人は現れませんでした。

※会見を行う江崎勝久社長

3日後に江崎グリコ社長は監禁先から自力で脱出し、大阪貨物ターミナル駅で保護されました。しかしその後も江崎グリコ社長宅に脅迫状が届き、さらに江崎グリコ本社が放火されます。その放火と前後して犯人は脅迫状をマスコミに送りつけ、青酸ソーダ入りのグリコの菓子をバラまくと通知してきました。

他社への拡散

6月22日、丸大食品に脅迫状が届き「グリコと同じ目にあいたくなければ5000万円用意しろ」というものでした。丸大食品は現金を用意しますが、犯人は現れませんでした。

さらに9月12日には森永製菓に脅迫状が届き、現金1億円を要求してきました。しかし犯人は受け渡し場所に現れることなく、その後に青酸ソーダを入れた森永の菓子が各地のスーパーにばらまかれました。菓子には「どくいり きけん たべたら 死ぬで かい人21面相」と書いた紙が貼られており、全国のスーパーで森永の菓子の撤去が始まりました。



そして11月7日、ハウス食品の総務部長宅に脅迫状が届き、この時は現金の受け渡し場所で犯人と思われる車と警察がカーチェイスを行ったうえで逃しています。

さらに不二家食品、駿河屋などにも脅迫状が届きますが、1985年8月12日に犯人グループからら「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」と、終結宣言が出されて事件は終息しました。犯人は捕まっておらず、未解決事件となっています。

犯人の目的は何か?

犯人グループは身代金の要求を繰り返しつつ、受け取り指定場所には現れなかったため、身代金を一円も手にしていないことになっています。また世間を騒がすだけ騒がしたものの、死者がゼロという不思議な事件でもありました。犯人の目的は不明で、なぜ突然終息したのかもわかっていません。

分かれる犯人像

捜査本部には複数の犯人像が描かれ、未だにどれが本当かわかりません。

グリコのおまけ説
事件の本命はグリコで、その後の事件はおまけだとする説で、犯人はグリコ関係者とされています。その理由は、グリコの内部事情に詳しすぎることです。


勝久社長宅の警備情報を把握し、とっさに子供の名前を呼ぶなど家族のことも知っていました。勝久社長の運転手を名指しし、戦前のグリコ青年学校のコートを誘拐した勝久社長に着せるなど、グリコ関係者であることを誇示しているようにも見えます。

さらに勝久社長の身代金が現金10億円と金塊100kgだったことも、捜査の注目を集めました。現金はともかく金塊は簡単に用意できるはずもないのに、江崎グリコはすぐに用意しました。犯人は江崎グリコが100kgの金塊を持っていることを知っていたのです。

勝久社長の脱出後にも脅迫状を送りつけ、本社を放火するなど並々ならぬグリコへの執着心があり、グリコ関係者のグリコへの恨みという説は根強く警察にありました。

仕手集団説
一連の事件は株価操作が目的だったという説です。この事件に乗じて多額の利益を上げた仕手グループが複数あったとされ、特にビデオセラーという会社は、捜査の対象に何度もなりました。


脅迫状を送れば株価が下がるので、空売りのタイミングを自ら決めることが可能で、終結宣言を出す前に底値で買い戻せば、さらに利益を得ることが可能です。上記のビデオセラーは、グリコ森永事件が始まる少し前に設立され、終結後に解散しています。そして社長ぎ突然死しており、一部では根強い疑惑がありました。

警察関係者説
脅迫状はキャリア官僚をバカにし、ノンキャリアの叩き上げに同情的な文章が散見されました。事件の終結も、ノンキャリアながら滋賀県警の本部長まで上り詰めた山本昌二氏が、犯人を取り逃がした責任を取って定年退職した日に焼身自殺を図ったためとしています。



「山もと 男らしうに 死によった さかいに わしら こおでん やることに した くいもんの 会社 いびるの もお やめや このあと きょおはく するもん にせもんや」

後述しますが、警察無線のデジタル化が始まった時期の事件であり、犯人グループはデジタルのエリアを把握していたと思える行動をとっています。

暴力団実業家グループ説
1979年にグリコを脅迫して5億円を脅し取ろうとして拒否された過去がある、元暴力団組長を中心とするグループを犯人とする説です。グリコ森永事件の最中に、脅迫された企業の関係者から、元組長の口座に3億円の入金があったことから、捜査本部は任意同行を求めています。しかし決め手に欠け、自供も取れなかったことから、捜査は打ち切りになりました。

警察を襲った身内への不信

丸大食品への脅迫で、捜査本部は現金受け渡し場所に複数の捜査員を配置して万全を期していました。しかし受け渡し場所は何度も変更され、転々と移動することになるのですが、ことごとく警察のデジタル無線の圏外を犯人は指定してきました。警察は白バイに無線中継器を積んでいましたが、それを知っているかのように、階段のある道を指定するなどして翻弄します。

これは犯人グループの中に、警察関係者がいるのではないか?という疑念を決定的に高めました。捜査情報の開示は捜査員に対しても限定され、現場では何のための捜査をやっているのかわからないまま動かなくてはならないことがありました。情報は捜査本部に集約されても、捜査員には伝えられなかったのです。

こうして所轄の警察署などにはほとんど情報が降りなかったため、致命的な捜査ミスも招きました。ハウス食品への脅迫で、現金受け渡し場所に指定された名神高速道路に、滋賀県警の捜査員2名がいました。2人は他の現場でも目撃された、通称「キツネ目の男」を発見し尾行を開始します。しかし捜査本部から滋賀県警は名神高速道路内に入らないこと、職務質問等は行わないことを厳命されていたため、やむなく撤収することになります。

その数時間後、犯人が指定した高速道路に白い肌を立てた目印の真下の道路に、夜なのに無灯火の不信車両を滋賀県警のパトロール巡査が発見します。捜査情報を与えられていなかった巡査は通常の業務手順で職務質問を行うと、不信車両は急発進して京都市内にかけて激しいカーチェイスを展開しました。不信車両はパトカーの追跡を振り切って逃げきり、丸大食品の現金受け渡し場所に犯人は現れませんでした。

滋賀県警はこの2つの出来事を失態として、激しく批判されることになります。特に不信車両を追跡して取り逃がした巡査は、責任を取って警察を辞めることになります。そして滋賀県警の本部長だった山本昌二氏は、定年退職の日に、自宅の庭で焼身自殺を遂げます。遺書はありませんでしたが、自殺は犯人を取り逃がしたことへの責任からで、焼身自殺という壮絶な死に方は、捜査情報を開示せずに責任だけを押し付けてきた警察上層部への抗議と思われました。

まとめ

ドラマ「踊る大捜査線」では、本庁が露骨に所轄を軽視する姿が繰り返し描かれており、所轄は本庁の駒のような扱いでした。あれは極端な描写をするドラマでしたが、グリコ森永事件に関する本を大量に読んでいくと、そこにも何も知らされずに命令のままに動かなくてはならない捜査員の姿が繰り返し出てきます。

また山本元本部長の自殺は、警察関係者に大きな衝撃を与えました。捜査本部の指示に従った結果、犯人を取り逃がすことになったのですが、捜査本部から責任を追及する激しい叱責と圧力を受けたと言われています。警察は硬直化した組織を、さらに硬直させることになりました。

この事件は警察の体質、報道協定のあり方、企業や消費者のモラルなどを揺さぶり、未解決になった稀有な事件です。真実が明るみに出ることはあるのでしょうか?

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