かつてアマチュアはプロより格上の存在だった /アマチュアリズムとはなにか
日大のアメフト部やチア部の問題、日本ボクシング連盟の不祥事などでアマチュアスポーツの問題があちこちで議論されています。そもそもアマチュアとは何なのでしょう?辞書でアマチュアの意味を調べると、「趣味や余暇で行う人」「素人」などの言葉が出てきます。もともとアマチュアはスポーツから出た言葉で、プロと区別するために生まれた呼称でした。アマチュアという言葉が生まれた当時、 アマチュアはプロの上に位置する立場だったのです。
その後も貴族に雇われて普段は競技の練習に励み、一族の代理として競技に出場するような人もいました。こういう人は庭仕事をするわけでも、食事を作るわけでもなく、競技に勝利することで生活ができていました。
中世のヨーロッパでは、一族同士が互いの名誉を掛けて競技を行うことがあり、強力な助っ人が求められました。こうして競技の練習だけに明け暮れ、生活をする人が存在したわけです。
そしてスポーツ競技に参加する特権階級の人達の中から、自らをアマチュアと呼ぶ人達が出てきます。彼らは社会的地位が高く裕福で、報酬を受け取らずに競技に参加していました。ボート競技のレガッタの参加規定には、明確にアマチュアという言葉が書かれるようになります。
彼らは不労所得で贅沢な生活ができるにも関わらず、社会奉仕の精神で仕事をしていたのです。裕福ですから賄賂を受け取ることもなく、不正を働けば一族の名誉に傷がつきます。そのため社会的に信用できると考えられていました。
一方で、生活のために働く人もいます。労働者階級と呼ばれる人達で、彼らはお金を得るために仕事をします。不正がバレても名のある一族の出身ではないですし、何よりお金のために働くのでお金に左右されます。賄賂だって受け取ります。彼らは信用できない人達とされました。
スポーツにおいても、スポーツで生計を立てるプロは金銭を得ることが目的なので、八百長など不正を働く可能性があります。しかしアマチュアは、自身と一族の名誉のために戦うので、不正をするはずがないと考えられました。アマチュアは高潔で、プロは金のために動く卑しい人達と思われたのです。
このアマチュアの考え方に、感銘を受けたフランス人がいました。ピエール・ド・クーベルタンです。
労働者階級など貧しい者たちを排除し、特権階級による最高峰のスポーツの祭典が、近代オリンピックです。クーベルタンは、そのアマチュアの考え方をアマチュアリズムと名付けてオリンピック憲章に記載しました。クーベルタンがアマチュアに拘ったのは、古代オリンピックの衰退が賄賂や八百長などの不正行為にあると知ったからです。だから卑しいプロは、オリンピックに相応しくないと考えたのです。
クーベルタンはプロを参加させれば不正が行われるという考えは極端ではありますが、戦後のアメリカのプロスポーツの多くが、マフィアと八百長を排除するために多大な努力を要したことを考えれば、決してデタラメでもなかったと思われます。
これは資本主義圏の国々には不公平だったため、オリンピックはプロの参加を認めるようになり、オリンピック憲章からもアマチュアリズムという言葉が消えました。アマチュアリズムは消滅したのです。
欧米で家柄の良い金持ちの政治家が、人気を集めるのも同じ理由ですね。彼らはすでに金持ちなので、政治家の立場を利用して私服を肥やさないだろうと思われるのです。ここら辺りは、日本の感覚とずいぶん違って興味深い点です。
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プロフェッショナルとは
いつ頃、プロフェッショナルという言葉が生まれたのかわかりませんが、紀元前9世紀から始まった古代オリンピックには、すでにプロがいたとされています。競技に勝利し、賞金を得ることで生計を立てた人達です。その後も貴族に雇われて普段は競技の練習に励み、一族の代理として競技に出場するような人もいました。こういう人は庭仕事をするわけでも、食事を作るわけでもなく、競技に勝利することで生活ができていました。
中世のヨーロッパでは、一族同士が互いの名誉を掛けて競技を行うことがあり、強力な助っ人が求められました。こうして競技の練習だけに明け暮れ、生活をする人が存在したわけです。
アマチュアの誕生
19世紀前半のイギリスで、スポーツ競技の出場資格を定める動きが出てきました。当時のスポーツは貴族などの特権階級のもので、労働者は休日を疲れた体を休めるために使い、スポーツをしませんでした。しかしここにも特権階級に雇われたプロは存在し、一族の助っ人として参加していました。※ヘンリー・ロイヤル・レガッタにアマチュアはアマチュアを規定しました。 |
そしてスポーツ競技に参加する特権階級の人達の中から、自らをアマチュアと呼ぶ人達が出てきます。彼らは社会的地位が高く裕福で、報酬を受け取らずに競技に参加していました。ボート競技のレガッタの参加規定には、明確にアマチュアという言葉が書かれるようになります。
当時のイギリスの価値観
階級社会のイギリスでは、支配階級の貴族やジェントリが領土を持ち、小作人を雇って仕事をさせていました。不労所得で生活する彼らにとって、生活のために仕事をするのは卑しい行為でした。。では遊んでいたかというと、そういう人もいましたが、医者や政治家、弁護士をする人もいました。彼らは不労所得で贅沢な生活ができるにも関わらず、社会奉仕の精神で仕事をしていたのです。裕福ですから賄賂を受け取ることもなく、不正を働けば一族の名誉に傷がつきます。そのため社会的に信用できると考えられていました。
一方で、生活のために働く人もいます。労働者階級と呼ばれる人達で、彼らはお金を得るために仕事をします。不正がバレても名のある一族の出身ではないですし、何よりお金のために働くのでお金に左右されます。賄賂だって受け取ります。彼らは信用できない人達とされました。
スポーツにおいても、スポーツで生計を立てるプロは金銭を得ることが目的なので、八百長など不正を働く可能性があります。しかしアマチュアは、自身と一族の名誉のために戦うので、不正をするはずがないと考えられました。アマチュアは高潔で、プロは金のために動く卑しい人達と思われたのです。
このアマチュアの考え方に、感銘を受けたフランス人がいました。ピエール・ド・クーベルタンです。
近代オリンピックの誕生
イギリスのパブリックスクールの教育に関心を持ち、ラグビー校でラグビーに夢中になったクーベルタンは、アマチュアという考え方に感銘を受けました。そして「オリンピアの祭典」に感動したクーベルタンが、オリンピックの開催を目論むと、彼は出場者はアマチュアのみにするべきだと考えました。※ピエール・ド・クーベルタン |
労働者階級など貧しい者たちを排除し、特権階級による最高峰のスポーツの祭典が、近代オリンピックです。クーベルタンは、そのアマチュアの考え方をアマチュアリズムと名付けてオリンピック憲章に記載しました。クーベルタンがアマチュアに拘ったのは、古代オリンピックの衰退が賄賂や八百長などの不正行為にあると知ったからです。だから卑しいプロは、オリンピックに相応しくないと考えたのです。
差別的なアマチュア
19世紀のイギリスでも、参加者をアマチュアだけに限る規定は職業差別だという声がありました。また意図的に労働者階級を排除することに、問題があるとした人もいます。しかしそれらは少数派で、当時は明確な階級が存在するので、さほど問題にはなりませんでした。クーベルタンはプロを参加させれば不正が行われるという考えは極端ではありますが、戦後のアメリカのプロスポーツの多くが、マフィアと八百長を排除するために多大な努力を要したことを考えれば、決してデタラメでもなかったと思われます。
アマチュアの普及
オリンピックの発展により、アマチュアという言葉は世界中に輸出されました。そもそも階級社会がない国、例えば日本(初参加は大正元年)では、このアマチュアの意味が正確に理解されませんでした。そういう国は多く、プロではない人をアマチュアと呼ぶようになり、ノンプロとアマチュアが同じ意味で使われるようになります。アマチュアの衰退
支配階級が時代とともに姿を消すと、アマチュアは単にプロではない人という意味合いが強くなりました。さらにオリンピックではソ連などの共産圏の国々が、プロの存在を否定したために参加選手全てがステートアマと呼ばれるようになり、1日中スポーツしかしないプロと同等の人々がアマチュアとして参加するようになります。※ベラ・チャスラフスカもステート・アマでした。 |
これは資本主義圏の国々には不公平だったため、オリンピックはプロの参加を認めるようになり、オリンピック憲章からもアマチュアリズムという言葉が消えました。アマチュアリズムは消滅したのです。
まとめ
かつてプロはお金のために不正を行う卑しい人々と思われ、高貴な目的のために戦うのがアマチュアと考えられた時代もありました。しかし時代の流れととともにアマチュアは姿を消し、本来の意味でのアマチュアは絶滅危惧種になっています。欧米で家柄の良い金持ちの政治家が、人気を集めるのも同じ理由ですね。彼らはすでに金持ちなので、政治家の立場を利用して私服を肥やさないだろうと思われるのです。ここら辺りは、日本の感覚とずいぶん違って興味深い点です。
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