福島第二原発に見る危機管理

東日本大震災の時に、福島第一原発の惨状は繰り返し報道されました。しかし第二原発のことは、地震から数年経ってから、ようやく報じられました。第一原発のすぐ隣にあり、同じく危機的状況に陥った第二原発は多くのことを教えてくれます。


地震が発生した当時、第二原発の増田所長は会議中で、揺れが収まるとすぐに所員の避難と安全確認を行っています。津波を予測していましたが、津波の損傷が予想を上回る大きさで、高台に避難した職員とともに原発が瓦礫でボロボロになっていく様子を見守ります。

1号から4号までのプラントのうち、3号以外は冷却できていないことがわかり、第一原発と同様に原発を冷やす機能が失われていました。ただ第一原発と違ったのは、第一原発がブラックアウト(電力総損失)になりましたが、第二原発は中央制御室には電気が来ていたことでした。これが二つの原発を大きく分けることになります。


1.情報の共有化

増田所長が所員の安全を確認した後に行ったのは、ホワイトボードに書き込むことでした。「震度7強の地震」など、わかりきったことを数項目書いた上で所員に呼びかけます。

「今、俺がわかっていることはこれだけだ。それぞれが知っていることを、ここに書き込んでくれ」

所長が誰も知っている当たり前の情報を書き込んだことで、書き込むことへのハードルが下がりました。こういう時に「こんなことを書くのは・・・」といったためらいや、遠慮は禁物ですが、所長の行動が「なんでもいいから、まず知っていることを書き込む」ことを積極的に行わせました。
※増田所長

2.情報の一元化と優先順位

これは危機管理だけでなく、普段の仕事でも言われていることですが、できていないことが多いのが現実です。第一原発でも情報の一元化を図りましたが、第二原発に比べてプラントが複雑なため、所長に一元化するのが困難でした。この時の政府は、この一元化と優先順位の決定ができていなかったことが、後の報告書で明らかになっています。

3.コミュニケーションの齟齬

原発の冷却水が足りなくなることを想定して、増田所長は東京の本店に水を4000トン用意するようにお願いします。ところが東京では所員の危機的状況が問題視されていたので、飲料水が必要だと勘違いして、給水車で飲料水を運んでしまいます。緊急時であり、多くの人が動揺している中では、こういったことは起こりうると増田所長は判断して、なんでも本店に頼るのではなく自力解決を優先して考えるようになります。

4.時にはマニュアルを無視し、臨機応変に対応した

マニュアル人間の否定のような、安易な主張とは異なります。増田所長は緊急時のマニュアルを把握していて、さらになぜマニュアルがそう書かれているのかも理解していました。そのうえで、直面しているケースとマニュアルが想定したケースの違いを考え、時にはマニュアルから逸脱する方法で対処をしていきました。

5.部下とのコミュニケーション

指示は明確に、具体的に出すこと、そしてできたかできなかったか、報告は必ずもらうという基本的なことに気を遣ったそうです。そして部下からの質問は、必ずその場で答えを出すようにしたそうです。「ちょっと待ってくれ」では、決定まで部下に時間を浪費させるうえに不安を与えるので、徹底してその場で決めることにしたそうです。そして増田所長は無意識だったそうですが、報告を受ける度に「ありがとう、よくやった」と言っていたそうです。

第一の吉田所長がダメで、第二の増田所長が良かったという話ではありません。被害の規模が違いますし、置かれた状況も違いました。しかし増田所長の話は、普段から言われている当たり前のことが多く、それを実践できる準備ができているかが鍵になると再認識させられます。





事故の後に福島第一原発で、土木作業員として働く竜田氏の労働記です。

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