人権を守りつつ黒人は檻の中へ /人間動物園の歴史

※この記事は2017年3月7日に、前のブログに書いた記事の転載です。

人権という考えはイギリスの偉大な発明の一つです。学校の教科書では、人権はマグナカルタから始まるとされていますが、個人的にはその後のトマス・ホッブズに注目します。ホッブズが画期的だったのは、人権の元になる自然権(神から人間に与えられたもの)をキリスト教徒以外にも認めたことです。極論すれば、当時はキリスト教徒でなければ、ヒトでもなく人権はなかったわけです。このように歴史を読むとき、ヒトとは何か?というのは、重要なポイントだと思います。



ヨーロッパでは中世から人権の概念が生まれますが、人権はヒトにしか適用されません。現在も犬や猫に適用されません。ヨーロッパ各国がアフリカに進出した時、現地に住む黒人種はヒトとは認識されずに虐殺されています。1870年代には黒人達は捕獲され、ヨーロッパに連れられて動物園で展示されます。アラスカのイヌイット(エスキモー)も同様です。1899年のパリ博覧会の目玉は、400人もの黒人を展示した黒人村でした。ヨーロッパ各地で黒人村は流行り、全裸のまま檻に入れられることも珍しくありませんでした。

※人間動物園

当時もこれに対する批判はありました。しかし多くのヨーロッパ人にとって、黒人はヒトではなかったのです。しかし道具を使うし、教えれば言葉も覚えるので、黒人をサルとして扱うには無理が出てきました。そこでヨーロッパは「野蛮人」という言葉を用いるようになります。野蛮人は便利な言葉で、文明を持たない野蛮人が支配する地域は混乱や疫病が蔓延するので、自分達が代わりに統治した方が良いという植民地政策の大義名分を生みました。当然ながら、野蛮人には人権がありませんでした。

※こちらも人間動物園


抵抗する野蛮人は、容赦なく殺されました。オーストラリアのアボリジニは僻地に追いやられ、9割が死んだとも言われています。アメリカのインディアンと呼ばれた原住民も、保護区に追いやられました。アジアも野蛮人が住んでいたため、ヨーロッパ各国が植民地化する際にも人権は用いられませんでした。では日本はヨーロッパから見て、野蛮人の国だったのでしょうか?第二次大戦前に日本は近代化を遂げて、憲法や軍隊や芸術などの文化を持っていました。国際会議にも出席し、第一次世界大戦を連合国として戦いました。しかしアメリカは、やはり野蛮人と見ていたように思います。

※オーストラリアのアボリジニ

太平洋戦争では、日本兵の頭蓋骨を記念品にするのが流行しています。タイムマガジンには、戦地から恋人が送った日本兵の頭蓋骨に「素敵なプレゼントをありがとう」と、手紙を書く少女が掲載されました。ルーズベルト大統領は、日本兵の骨で作られたペーパナイフを使っていました。骨を記念品にするのは、アフリカやアジア各国が植民地化され、野蛮人として扱われた時に見られた光景です。アメリカが原爆をドイツではなく日本に使用したのは、白人優越主義のせいだと言う人がいますが、ドイツ人はヒトで、日本人を野蛮人と考えていたのではないか?とも思います。

※日本兵の頭蓋骨のお礼を書く少女

戦後に野蛮人という概念は消えたかのように見えますが、ベトナム戦争でのルメイ将軍の有名な言葉「ベトナムを石器時代に戻してやる」には、同じくベトナム人を野蛮人と認識していた雰囲気を感じます。このルメイ将軍は、太平洋戦争戦争で「道徳的な悩みは一切なかった」として、東京大空襲で無差別爆撃を指揮した人物です。そしてなぜか日本政府が勲章をあげた人物でもあります。

※カーチス・ルメイ

人権という考え方はヒトにしか適用されず、ヒトの定義は時代によって変化しています。ですから戦後の人権の尺度で歴史を振り返ると、大きな落とし穴が待っています。ある時代まで、ヒトは生まれながらにヒトではありませんでした。西洋人に認められてヒトになりました。ここは大事だと思います。



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